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ゼロのつながり

すべてが理由。そして理由はひとつもない。生命は広がりつづけ、そして収束に向かう。つねに終わりと初まりが一緒にある。
そんな感覚があるから、総和が0ゼロ(ゼロサム)の地域通貨のありかたに感動をおぼえた。地域に限定されることで、貨幣の本質がわかりやすく示される。

貨幣は役目を終えたときに収束する。いいえ、人が意図した役目を果たしても果たさなくてもいずれ収束する。ひとりの人のところへ集まっても総体はゼロ。なんてすばらしい理だろう。

「お返し」の習慣についても説明できそうだ。aさんがbさんに貨幣をあげても物品をあげても総体はゼロ。bさんはaさんに「お返し」するも自由、cさんにあげるも自由。dさんと交換するも自由。すべておなじだから。総体は変わらないから。

ゼロにネガティブなイメージを持つなら、aさんがbさんにあげたものはプライスレス、計り知れない、と言い換えてみる。ほんとうはそうなんだ。ほんとうは「あげる」とは計り知れない愛を流す動きであるはず。

人にもっとも必要なつながりを育むきっかけを創る道具。地域通貨は道具のひとつにすぎない。道具が人と人をつなぐのではなく、道具を介して流れる無形のものが人と人とをつなぐ。つながっているなら、道具は必ずしも必要ではない。

インフレの中にあっても、つながりがあれば飢えない。体も心も。人のむさぼりによってまた恐慌が引き起こされても不安を抱かなくていい。そういうつながりが育まれるように。心の安心と信頼が育まれるように。


(貨幣に求められた普遍性は、ほんとうに貨幣に必要な性質だろうか。変質する物質に信頼したところで人を養ってはくれない。物質自体に生かされるのではなく、物質を介して受けとる目に見えないものによってわたしたちは生きる。普遍の表現は、人の内に、人と人のあいだにもっとも表されるものか。)



#贈与の文化
#有機的なつながり

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