蚊取り線香

わたしの夏の蚊対策は、毎年蚊取り線香です。
「臭いが付くから」
「煙いから」
と、液体蚊取りをすすめられるのですが…
わたしの部屋は、蚊取り線香なんです。

もう30年以上前、両親が亡くなりましてね。
それなりの保険やらなんやら、残してくれたんです。
でもそれを…
見たこともない「親戚」が管理することになり、あっと言う間に使い込まれて…

ある日「親戚」が封筒を渡し、今月中に家を出て。
それだけ言って去っていきました。
中には10万くらいだったか…
それ以来会ってません、その親戚には。

そう言われてもねー。
わたし、ウブな高校生、わかんないですよ「生活」の方法なんて。

で、期日近くなり、お金も少なくなった時、郵便が届きました。
送り主は祖母のチャーばぁちゃん。

チャーちゃんとは、血は繋がってません。
祖父の後添いなんですが、いわゆる「お妾さん」日陰の女性なんですね。
祖父が存命の時は、本家に居られたんですが、祖父が亡くなると、追放。
仙台の郊外、平屋の小さな家にひとりで暮らしてました。

そんなチャーちゃんからの手紙には、まず詫びる言葉がありました。
孫の窮状を知らず放っておいたこと。
本家や分家で、上手くやってくれてると思ってたこと。
そして…
一度仙台においで、お話しましょうと、新幹線の切符と10000円札が2枚。

正直言うと、チャーちゃんとは、それまで数回しか会ったことなかったので…頼れなくてね。
切符を現金化しちゃったんです(笑)

数日後、わたしの行動を読んでたかのように、た郵便が。
また切符と、10000円札が今度は1枚(笑)

行きましたよ、仙台へ。

手紙の住所記憶をたよりに着いたチャーちゃんの家は、思ったより小さく質素なものでした。

ムームーを着たチャーちゃんは、両手を広げ、歓迎してくれました。
「よぐ来た!よぐ来た!エライエライ!」
細いチャーちゃんから線香と椿油と柔らかな匂い。
なんだかじんわりしました。

開け放した居間で麦茶を飲みながら、これまでの出来事を話すんだけど、いちいちチャーちゃんが激昂!号泣!身振り手振りを交えて感情を表してました。

それまで誰にも話せなかったこと、心の中に溜まってたこと、吐き出してたら、すっかり夕方に。

「そろそろ蚊やりすっかね」
そう言うと、蚊取り線香にライターで火をつけ、小皿に立てました。

ゆるゆる立ち昇る煙。
鼻孔をくすぐる線香の匂い。

久しぶりの「家族」団欒でした。

蚊帳を釣り、並べた布団に入り、まだ話足りないわたしは、チャーちゃんに語りかけ続けました。

「もう寝ろ、明日また話するべ」

しばらくして寝入りそうな頃、ボソッとチャーちゃんの声がしました。

「よけりゃ一緒に暮らすか?」

返事、できませんでした。
涙を堪え、嗚咽を隠すので精一杯で。

チャーちゃんの優しさ、温かさが、凝り固まってた身体に滲みてきました。

「寝たんか?そっかそっか」

衣擦れの音で、チャーちゃんが向こう向いたのを感じ、静かに泣きました。

蚊取り線香と椿油、鈴虫の音。
チャーちゃんの寝息と、柱時計の音。
風にそよぐ庭草のざわめき。

久しぶりに心静かな夜でした。

結果、その後たくさんの人に助けてもらい…
一緒に暮らすことは出来なかったんですが、定期的に届くチャーちゃんからの荷物には、夏が近くなると、蚊取り線香がたくさん入ってました。

あれからずっと、夏が来たら蚊取り線香を焚きます。
チャーちゃんの椿油の匂いがする気がします。

なんてね(笑)

ちなみにわたしの本籍地は、今はもう無いチャーちゃんの家です。


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