葬式無用 戒名不要

有名な白洲次郎さんの遺言。
わたし、以前白洲次郎さんの著書「プリンシプルのない日本」を読み、感銘を受けたことがありました。

で、今日…
何の気なしにおかーちゃんと話をしてました。
「あ、オレ葬式とか戒名いらんからね」
👹「はいはい、白洲さんね」

いや、まぁ元ネタはそうなんだけど…
無神論者で無宗教者で神も仏も信じてない…
と言うとご先祖様たちに袋叩きにされる、元神職の家系(笑)

ただ、大きな悲しみや辛さがあった人生で、悟ったのは…
「自分を助けてくれるのは自分」
「試練?徳?はぁ?いらんてそんなん」
「人生を導くのは自分の感と経験」

なんです。

だから「葬式代で払う金なら、美味いもん食ってくれ」
「戒名なんちゃ、いらん!親が付けてくれた立派な名前がある!」
もったいねぇ!

親しい人たちが、そっと惜しんでくれりゃそれが一番の供養になるってもんよ。

あ、間違いのないように…
立派な戒名を付け、盛大な葬式で送ってもらうことを否定しませんよ。
残された人の使命と感じる人もいるでしょう。
盛大に送ることで、故人への感謝を表す人もいるでしょう。
信じてる宗教も人それぞれ。
それは、とても大切なこと。

ただ、うちに関して言えば…
今まで夫婦揃って底辺を這いつくばり、辛酸を嘗め、怒りや憎しみを生きる糧としてきた時期もありました。(詳しく書けないけど🤣)
そんな中、見出した価値観なんです。

葬式出すくらいなら、美味いもんを食って元気付けてくれ!
戒名付けるくらいなら、この使い続けた名前、呼んでくれ。
なんなら遺骨も砕いて畑に撒いてくれ、ごっついカルシウムだぜ(笑)

考えてみたら…
親の葬式も…墓参りも、一度もしてません。
(たぶん本家でやりました、墓もあると思います、たぶん(笑))

「参らないくらいで化けて出てきたら文句のひとつも言ってやる」
「勝手に死んどいて手ぇ合わさんくらいで、こんな可愛い我が子呪うってんなら、やってみぃ!」

でもやっぱり命日近くなると、心で手を入れる合わせ…
「○○歳になったよ、元気だし、嫁も元気だし問題ないよ」
と報告します。

うちにはあとを継ぐ子供がいません。
今更、本家の墓守するつもりも、さらさらありません。
頼まれたって入りません。
あたし、我が一族、最後の人間なんす(笑)

そのうち忘れ去られて、上等っす。

(遺言じゃあないよ。)




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