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川倉賽の河原地蔵尊

7月末にどうしても青森に行かなきゃならない用事があったので、静岡の地元から4時間ちょっとで東京に行き、そこから高速バスで8時間ほど揺られて弘前へ。さらにそこから2時間ちょっとで金木町へ…。

斜陽館からしばらく歩き、賽の河原踏切を渡る。奥に見える造花店がまたいい味だしてるね!!
またそこからテクテク歩き、ようやく川倉賽の河原地蔵尊へ到着。


なんだかんだで斜陽館やら何やら観てたりしたので、すでにお昼近く。
お昼のチャイムが津軽三味線で感動しました。
入ってすぐに目についたのが演芸館

昔はここで色々な出し物があったのかしらと思いを馳せてみたりして。
御朱印をいただきお堂へ。

こちらの霊場のこの雰囲気はなんとも言えないものがありました。亡くなった方の思いが近い雰囲気が。
帰って調べてみたら太宰治がこの地を「形容すべからざるもの」と言っていたとか。
ここの雰囲気は恐山より栃木県の岩船山や山形の若松寺に近い雰囲気がありますが、更に濃い感じがしました。


亡くなった方々の生前使っていたものや衣類、その他が奉納されておりこの世とあの世の境が私はよくわからなくなりました。

一息ついて、一旦お地蔵さまを眺めつつしばし散策し水子供養のお堂へ入るとそこには沢山の婚礼人形が奉納されておりました。



ここは未婚の男女の霊を供養し、結婚適齢期に達すると神様が夫婦として結びつけてくれるという伝説があるようです。(パンフレットより)
お堂の方から聞いた話ではこのお堂は最初は水子供養のために建立されたそうですが、この辺りの地域で戦争等で若くして亡くなる方が多く供養したいと言う親御さんの思いで婚礼人形を奉納する方が多く増えていったのだとか。
なお、この場所はもともと飢饉により亡くなった方々を埋葬したのが始まりだそうです。

たまたま私が来た日の前日まで例大祭が行われておりましたが、コロナ禍のこのご時世だつたのでいつもより訪れる人は少なかったとの事でした。
色々、お話を聞きいてお礼しドアを開けようとしたら、「あっ、ちょっと待って」と呼び止められ昨日まで例大祭で配布したというお守りを「これも何かの縁だし」と言いながらいただく事ができました。



最後に「結構テレビ出るから見てね!」と言われ、心の中で(知ってます)とちょっとニヤつきながらも、また来たい思いがあるので「また来ます。」と言いながら川倉賽の河原地蔵尊を後にしました。

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