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インスピレーションのコミュニティ


   ── 本エッセイは、1994年制作のコンテンツを一部修正したものです。

 さる九月の上旬に都内の某ギャラリーにて開催された寺門孝之氏の個展で、三宅純氏が招かれて来て、ゲストトークが行われた。筆者はまだ夏季休業中だったので比較的に時間が空いていたこともあって、ちょっと覗いてきたのだが、そこで寺門氏は自分の創作のインスピレーションについて興味深い説明をした。

 絵を描くに際して、創作のインスピレーションは自分個人だけの内部からきているのではなく、イメージの源泉は自分一人の中に完結しているようなものではないと感じている、と寺門氏は三宅氏に訴えていた。絵を描いていると、特別に付き合いがあるわけでなく、ただ自分と同じ時間と場所を共にしているだけの見知らぬ多くの人々、たとえばまさに今この会場にこうして集まって来ているこの観客の人々と自分とは何か共通の感覚を持っていると思われてならない。つまり自分はそういう多くの人と、何かが通じていて、一緒に何かを感じ取っている。そしてそこに共有されて存在している、何らかのイメージが自分のなかに「降りて」入ってきて、絵が描かれているような気がする、という風に寺門氏は語る。

 だから氏にとって自分の絵は心の通じ合う人々の集団との、いわば共同制作なのである。氏の画風にはどことなく、霊能者の自動書記を連想させるところがあるが、それは「降りて入ってくる」霊感のせいなのだろう。ちなみに寺門氏の絵は初々しい女性の天使をモチーフにしたものが多く、明るく淡いパステル調で、色彩が豊かである。またこのとき、三宅氏はイルカを撮ったビデオを見せながら、明らかにエコロジカルな立場から、イルカとの交流を通じてとらえられたインスピレーションについて語った。

 結論から先に言おう。そのトーキングで提示された、創造を刺激する要因としての、目に見えないままに共有されるヴィジョンの知覚と創造の源泉の共有、といったコンセプトが本エッセイのテーマだ。それはかねて大学生時代から趣味になっていたロシア民謡に対して新たな観点からアプローチできないか、と考えていた筆者にも、とても意味深い示唆を与えてくれたように思う。
(余談だが、巷を眺めてみると「天使」とか「イルカ」とかいうのは、いま、確かにトレンドなんだなと感じる)

 筆者は大学を卒業してから、ロシア民謡を人に教え伝える機会があった。大学時代にロシア民謡のサークルにいたので、数々の曲を原語のロシア語でも歌えた。幾つかの曲は原語の歌詞を完全に諳んじられていた。しかし普通の人々にとっては、ロシア民謡など、ただ何となく知っているものにすぎない。ロシア民謡を十分に意味のある程度まで理解してもらえるようにするためにはどうすればよいか、ということをまず考えなければならなかった。

 たいがいの人は『カチューシャ』や『カリンカ』、『トロイカ』のような歌のメロディぐらいなら知っている。なのでそれらと、さらに比較的メジャーな新曲をいくつか教え、できればロシア語で(日本語的な発音でも良いから)歌って、それで終わりにしてしまえば一応目的は果たしたことになるだろう。しかし私はそれだけでは何か物足りないような気がする。

 日本語のものにせよロシア語のものにせよ、歌詞を習得するのはまず歌を覚えるうえでの初歩であると思う。だが素人にとってはそれがすぐには容易ではないだけに、歌詞の字面にばかり注意をとられてしまい、それでかえって、歌の発展的な理解の障害になっている面がある。このことは大学時代のロシア民謡サークルでやっていた時からも、しばしば感じていたことではあった。

 新入部員たちにロシア民謡を教えたのち、彼女たちが曲を歌い慣れてきて、いざ斉唱してもらってみるという段になる。するとそのコーラスは、どうもお決まりの演目の繰り返しといった感じだったので、私は当惑する。彼女たちの歌への向き合い方は無味乾燥とはいわないまでも、かなり平板で表情が感じられない。これでは勿体ないと思った。私は、単なる知識としてではなく、歌う都度に歌うこと自体にある楽しみを理解することを通してロシア民謡に親しんでもらいたかったのだ。

 一般的に、歌を聴く者、とりわけ音楽にうるさくない寛容な聴き手ならばそんなことは問題にしない。そのような人たちは曲が内部に抱え持つ核となるイメージを、ある程度理想的な表現手法を以て味わうことができさえすれば、その歌がテープやCDのように毎回とも均質に再現されるような場合でも、満足して曲につき合っていられるかも知れない。

 しかし私がイメージしているのは、知識の再現としての歌いではなく、何か感情的で、歌い手も聴き手も心が高揚するような歌いである。たとえばライブ的な発表での場合、ビジュアルに歌い手と対面する聴き手を満たすには、歌い手が楽しく歌っている(少なくともそう見える)表情が不可欠だろう。また歌い手の立場から言えば、自分自身のオリジナルでない既製の曲でもって、歌うことの喜びを体験するためにはどうするか? 自分自身が様々な工夫をこらして、そこに芸術的な関与をする(たとえばソロ歌唱や、間奏中に歌手がコサックダンスを踊ってみせるパフォーマンスなど)ことが必要となってくるのではないか? そういうものこそが自然に求められるのが、ライブ演出というものの個性だろう。

 人間が歌う以上は、曲も、その歌唱も、その歌手の個性(キャラクター)も、その歌に伴うパフォーマンスも、互いに切り離せないものなのである。これは、人間の感情を明快に唄うロシア民謡なら尚のこと当てはまると思う。

 そこであらためてロシア民謡を見直してみよう。ロシアでは民謡の、民衆レベルにおける浸透は実に大したものである。ロシア民謡は合唱が主体となっているが、これは皆で歌うのを楽しむロシア人の気質によるところが大きい。

 (私の記憶違いでなければ)先月の某局テレビでは、ボルガ河畔の都ボルゴグラードにおける、農村で歌われるロシア民謡が取材されていたようだ。そこに見られる彼らロシア人は結婚式やピクニックなど、人の集まる様々な機会に皆で民謡を歌うことを楽しんでいる。恋の歌もあれば、自然の歌、生活の苦難の歌、祖国を思う歌などもある。ロシア人は民謡に対してわれわれよりも日常的に、てらいなく気さくに、親密に接している。人が集まるときには歌が入るから、歌に接する機会が多い分、歌が板についており、さまざまな歌や新しい歌も生まれやすい。

 ロシア民謡と思われている『カチューシャ』や『赤いサラファン』などの人気曲は、実際は今世紀のソビエト時代に生まれた「ソビエト歌曲」である。そればかりだけでなく現に、広大なロシアでは今この瞬間にも、民謡が作者の民俗固有のアイデンティティーに対する関心を反映しつつ、同時に新しい時代の色彩をも取り入れて次々と造られている。

 だから一見、伝統的で因循姑息で確固不変であるように見えるロシア民謡は、実際にはかなり可変的で流動的、かつ生産的なものなのである。コミュニティーの中でコミュニケーションをとりもつ機能を果たす民謡への需要が、民謡の創出と、その創造的な活用を可能にしたといってよいだろう。今までに述べたような大衆的かつ創造的という意味での絶え間ない生成によって、ロシア民謡は溌剌とした生命力を獲得しているのである。

 ロシア民謡の好きな者の一人として、筆者も創造的にロシア民謡の生成に参加できればいいと思う。別に新しい歌をつくる、という訳ではないが、既存の曲をより表情豊かに、オリジナリティを含んだやり方で歌うことに誘惑を感じている。しかし、また同時に、ロシア民謡に見られる広大で底の深い調子を無視しては、本当のロシア民謡とは言えない。と言うより、認めてもらえそうにない。もちろん完璧を図ることなどは望むべくもないのだし、それは多分幻想でしかないだろう。

 ロシアの民衆歌の魂に迫るにはどうすればいいのだろうか。私は悩んだ末に思い着いた。ここはひとつ、あらゆる音楽のルーツであったはずの、自然の音に立ち返ってみるべきなのかもしれない、と。とくにロシア独特の風景が舞台要素となっている曲を習得する場合には、もっと基礎的な音階の区別が生まれる前の原始的なリズムに対する関心を持ってもよいのではないか。人間のせせこましい生活感覚とそのリズムの束縛を脱して、自然の悠久なリズムに身を委ねてみる。脈動する原石としてのロシア風土のリズムに密着して同調し、その流れのままに浮かびゆく感情と、その起伏に没入して、やがて歌詞をそこにのせて次第に調和させる。歌詞と約束的な旋律とに翻訳される以前の、自然の原始的なイメージをまず感得するのである。

 私のペンフレンドのユーリャはロシアに地理的にも文化的にも近いウクライナのコムソモール(カブスカウトのようなもの)の女の子だ。彼女に教えてもらったウクライナ民謡の歌詞を見て、朴訥なウクライナ文字に表れた、その詩の素朴な美しさに触れ、あらためて自然の原石としての民謡詩の持つ豊饒さを認識させられている。ウクライナの自然と生活の風景の持つ香りを歌とともに再現できたら、それは価値ある創造と言えはしないだろうか。様式化された「上手さ」で歌うのではなく、その詩が謡ったものに即した自然のリアリティを醸し出すようにして歌いたい・・・。ユーリャの送ってくれたのは、そう感じさせられるような歌だった。また大学時代に同じロシア民謡に関心あるもの同士として交流のあった某他大学の学生たちは、自らの技量には自信を持っていないものの、みな一様に楽しんで歌い、歌にこめられた感情を大切にしているという様なことを言っていた。そう、たしかに大切なのはハートの方である。

 さて、情報伝達の高速化とヴィジュアル・メディアの発達によって、人間はきわめて「創造的」なヴィジョンを共に、同時に眺めることができるようになった。今や、渋谷などのミュージシャンたちのジャケットを飾るヴィジュアル・アートは瞬時に世界に発信され、それらのデザインが海外では、最も刺激的な現代TOKYOのピクチュアとしてグローバルなプライオリティを獲得している。そういう時世である。

 それならたとえば、ロシアからのヴィジュアルを含む発信についても、もっと注目してもよいのではないか。ロシアの風景はいつも、かの国の優れた詩人たちのインスピレーションの汲めども尽きぬ泉だった。このあいだ日本で公開されて観た、ロシアのアレクサンドル= ソクーロフ監督の映画『マリア』は、一人の農婦の生活と生涯をチェーホフ的といってよいのか、そんな平明さと淡いペシミズムをもって描いていた。ロシア人の目を介したロシアの風景を見て取ることができるような一作である。私たちのような異なる視点をもった人間たちからも、ここからインスピレーションを得て、ロシアに対して何らかの形で創造的にフィードバックすることは意義あることかもしれない。

 ロシア民謡を歌おうとする者が、ロシアに関する視覚情報、とりわけロシア人の目から見たロシアの風土と人間の姿をふんだんに摂取して、ロシアの人々と共通の理解の土壌を有するようになる。そのとき、単に異国情緒に耽溺することを越え、本質的な国際理解の姿にアプローチしうるだろうと思う。ロシア民謡を契機とする様々なレベルでの国際交流の場が今よりも一層増し、ロシアの大地を通じて普遍的な拡がりをもって人間の感情を伝えるロシア民謡に対する理解と創造の共同体の雰囲気が形成されるようになることを、自由を志向するロシアの文化に関心を持つ者の一人として、筆者は期待している。つきつめれば、心の熱みをもった共同体となれるよう望んでいる。

 世界的に民主化が進行し、世界中が同時にともに同じものを視ている今日、文化はアマチュア界においても、ナショナルの枠を越えた活動の拡がりが見られる。日本のロシア民謡界隈とて、単に内輪的な趣味に留まっていなければならない道理はない。それは人間にとって一般的な創造と文化活動のための、十分に可能性のあるフィールドのひとつとして、いま一度見直されてよいものではないか。大学時代に学んだロシアの歌の一節を思い返しながら、そんなことを、なんとなく考えた。

                  おわり

 

 

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