父_キャッチボール
2年前に亡くなった父。
その父への思いを少しずつ綴っていきたいと思う。
幼い頃は私は父のことが大好きだった。
野球が得意だった父。
私は昔から運動が得意なわけじゃなかったけど、日曜日の夕方に空き地で父とキャッチボールして遊ぶのが大好きだった。
父とゆっくり遊べるのは週末だけだったので、まるで散歩に連れて行く前の犬のように心が躍った。
キャッチボールといっても、少年が父親とやるようなものとはほど遠く、ふかふかの小さなボールを両手で素手で取るって投げ返す、そんなやりとりだった。
ある日ボールを取り損ねてしまい、ボールが沼地に入ってしまった。
取りに行ける場所ではない。キャッチボールはそこで中止になり、夕方泣きながら家に帰った。今でも夢に見るあの空き地と沼。粘土質の地面と泥のニオイ。
しばらくしてそこからは引っ越すことになった。
引っ越し先は開発中の新興住宅地。
父は私に赤い子供用のグローブを買ってくれた。
父は大人用のグローブを持っていた。会社のサークルっぽい野球チームで使っていたのかな。私はその革の匂いが好きだった。そのグローブにマジックでローマ字で書かれた父の名のその少し癖のある字体もすごくカッコよくて好きだった。
グローブで父のボールを受けると、パンと乾いた音がした。
少し早いボールだとその音が大きく響いて何か自分が少し成長した気がしていた。
日曜日の夕方。5時を知らせる音楽。
山を切り開いた新興住宅地には空き地がまだまだ沢山あった。
しばらくしてまた父の転勤でその新興住宅地から他県へ引っ越すこととなった。
私は方言もアクセントも違う地での生活にうまく馴染めずいじめにもあった。
キャッチボールもすることもなくなり、私は学校のクラブに属することもなく、父とはすれ違いの日々。
父も環境の違う職場での新しいポジションで必死だったのだろう。
やがて色々な誤解もあり口もきかないくらいの関係となってしまった。
赤いグローブはもはやどこに行ってしまったのかわからない。
それでも父のあのグローブは家の物置にあった。もう使うことはなかったけれども。
父との思い出のあの沼地や新興住宅地の空き地ももうない。
父はどうしてあの時あの場所を住居として選び、家を建てたのかな。
父はあの場所に住んでた時、幸せだったのかな。あの場所は好きだったのかな。
私は今でもあの場所が好き。
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