何も感じなくなった人は"強い"のか"弱い"のか
生きている以上、他人と自分を比較して
一喜一憂してしまうものだ。
同時に、社会というものは我々に"強く"在ることを強制してくる。
自分で決定する、責任を持つ、指示を出す、考える、etc…。
如何にしてこのような強さを獲得できるだろうか。
我々は、本質的に弱い存在であるのに。
私は、外的な要因によって自分に自信がなくなることを「自意識の"揺れ"」と呼んでいる。
この"揺れ"がなくなったら人は無敵になるのだろうが
果たしてそのとき、何が楽しくて何が悲しいのだろうか。
物事を感じる能力が錆びついてしまっていては、
ダメージこそないが、感動もまたない。
感受性・傷つきやすさというものは
果たして、無用の長物として足蹴にしてしまってよいのだろうか。
答えは否だ。
我々を我々たらしめるのはこの"弱さ"だ。
自我を分割して、一部分を凪の状態にしておき、
残りの部分は大切に守る。
こうすることができれば、幸せなのであるが。
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