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潜在的不在の存在

インターネットが普及して
世界と繋がるようになると
趣味や特技の競争が激化して
今まで楽しめていたものが
急に評価の対象になることで
楽しみじゃなくなる。

みたいな話を、ネットで見ます。

その中で評価されないとか
評価して貰いたい人を
かまってちゃんとするのも
暴論だなーと思いますけどね。

確かに、自分の貴重な時間を
私に向けてくれーってのは
迷惑だと思う時間はあるけど

よくある、教室の出来事の
「へー、お前絵描くんだ!
今度、俺のことも描いてくれよ!」
って感じのコミュニケーションを
どこかに求めているんだろうし
インターネットにそれがないから
その辺にギャップが生じるわけですかね。

そんな風に、自分は考えてます。

みんなもっとカジュアルで
いいんじゃないかな。

そんな、オンとオフの狭間で
元々、何をやっても
のびしろが中途半端な自分は
特技とか、趣味とか
それなりの結果も出せずに
もはや特技とか趣味とは
呼べない何かの塊になっていて
『多趣味、だけど無趣味』
な、そこに存在しない存在として
確かなものになりつつあります。笑

意味わからん。笑

やってて楽しいから
別に、自分の中では
趣味や特技の1つなんですが
例えば、周りの人たちが
「これを作りました~」
「あれに挑戦しました~」
って、趣味や特技をカタチにしていると

「君の得意なことは何?」って
自分自身に問い掛けたときに
なんの返事も返らないんですよね。笑

やべーなおい。
俺、何もないじゃんって。

「それでもいいじゃない。
私だって何もないよ。」っていう
意味のわからない停滞みたいな返事は
ぶん殴りたくなるくらい腹が立つので
求めてもいないから論外なのですが。笑

じゃあ、自分はなにか出来るようになるために
何かしらの挑戦や努力をしたのかとか
それを怠った結果なのかと言われると

努力が足りないだけかもしれないし

のびしろがないだけかもしれないし

それは死んでみなきゃ分からないんですが

結局、なんでもするけど何も出来ないまま
よくわからない、存在するけど存在しない
1かゼロかを外れた
つまらん存在になるのかなぁって。

ふと、インターネットの渦の中から
外れて我にかえった瞬間の中でも
一時間以上、間違えた躍りを躍りながら
むなしくもなるわけですよ、梅雨。
(エアコン壊れたのに何をやっているのか。笑)

「夜は無色透明だ。」

とか、そんな、感覚だけで
ことばを放つことだって
発話的コミュニケーションなのかすら
分からないわけですけど

そんなことしかできないし
そんなことが何なのかも分からないし

結局、のびしろがないのが正解なら
自分の存在って
『潜在的不在の存在』
なんでしょうね。

例えば、『無色透明の夜』みたいな。

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