男 前太郎さんへの回答

ツイッターでのやり取りが長くなったため、こちらに書かせていただきます。この文章は、ここまでのやり取りを前提としていますので、それをご存じない方には分かりにくいかもしれませんが、ご了承ください。

コメントは長くなりましたが、頑張りました。

まず男さんと私が同意できるであろう点ですが、

①気候変動は終末論ではない
②気候変動の科学には不確実性が存在する
③気候変動の動向や人間活動の影響をピンポイントに高精度に予測することはできない
④重要なのは1.5℃目標の死守ではない
④貧困対策は重要な課題

あたりではないかと思います。
逆に同意できないのは、

⑥AR6は信頼できる科学的知見を提供している
⑦国連が気候変動懐疑論を相手にしないのは、それでかまわない

あたりだろうと思います。

⑥の時点で対話が成り立たないと思いますが、私は自分があっているか、男さんがあっているかの議論はさほど重要ではなく、どちらもある程度正しいという前提でコメントします。

いただいた質問①気候変動の科学方程式ですが、度々言及されている平衡気候感度に関して、誤差ゼロの方程式があるかと言われれば答えは、私の理解ではないと言えます。
そのため、IPCCも数多くのモデルを使って気候感度の誤差をできる限り小さくする努力をしているし、AR6は活用されている数多くのモデルや論文を検証しており、現時点で最新の知見だろうと思います。何よりも気候感度の範囲は狭まらなくても、気候感度が示された範囲に収まる確実性は高まっていると理解しています。

IPCCの報告書についていろいろな意見はあるでしょうが、男さんが書かれているほど、IPCCの研究はあてにならないという科学者の認識が一般化しているとは私には到底思えません。

未解明の点は未解明とするというのが科学者の常識という点は同意しますが、それが未解明な点はあるが確実性の強弱はある、と矛盾はしないし、IPCCの結論は科学的に確実性が高いが未解明な点の存在ゆえの不確実性は残る、ということだと理解しています。

AR5の各論、各付帯論文を私が十分に理解していないというご指摘はそのとおりですが、私はだからといってIPCCに疑義を唱える人は正しいと言えるほど彼等の論点を理解しているわけでもありません。ですので、より厳しい査読行程を得ている方をより正しいとみなします。

その意味では、APSの専門部会であろうが、500人(後に1600人)が署名した文書であろうが、私はIPCCの結論を疑うほどの強い根拠を示していないと感じます。BTIのブラウン氏も同様です。

少し男さんの投稿を遡りましたが、江守先生や他の方が指摘されていた通り、APS専門部会の意見は相当古いもので、現在は文書先のリンクが切れています。どうやらリンクが変わったのではなく削除されたようです。

また、500人(後に1600人)が署名した声明ですが、こちらも国連以外の場で色々な方が批判検証しています。国連やIPCC以外の場でのこの声明に対する批判は素人目には説得力がありましたし、その意味では、声明にもIPCCのAR6にも相当程度正しい部分が含まれるでしょうし、IPCCとIPCCがに関わりつつ声明を批判的に検証した方々の意見を私は重視します。

少なくとも署名数が500人のとき、ドイツから署名した13人については素晴らしい研究者、気候問題に取り組んできた方もいらっしゃるが、気候科学の専門家とは言えないということはすでに検証されています。1600人に増えた後も、気候科学の専門家として名前が知られる方はとても少ないという検証もされています。他方で、彼等の声明を批判している方には、気候を専門に研究されている方がいます。私はそうした点から、国連は逃げたと言うより、まずはIPCCを中心とした科学コミュニティで議論してくれというスタンスなのだと思いますし、それは十分に理解します。(IPCCは都合の悪い論文は採用しないという批判があるのは知っていますが、私はその説はどうかな?と考えます)

ですから、少なくともIPCCのAR6を占いと同じ、当たるも八卦当たらぬも八卦という表現されるのは正確ではないと思います。

不確実な部分がありながらモデルは進化している。そのためにモデルには様々な条件が設定され、使用されるモデルも増えているし、変更もされている。

私は経済学で落ちこぼれた身ですが、経済学でもモデルを精緻化し、現実の説明力を高めようと思うほど、様々な条件を設定することになるはずです。そのためには1つのモデルが説明できる範囲は相当程度限定する必要があります。しかし、多くのモデルを比較検証することで、現実の説明力を高めることはできます。それと同じです。

気候モデルは、こうした気候変動の説明を異世界へいざなうものではなく、現時点でIPCCの利用する気候モデルは不確実性を残しつつ現実の天候をよりうまく再現できるようになっているというIPCCに関わっている科学者の言葉は信じるに値します。

男さんが挙げておられた未解明な9点ですが、これらが解明されたとは言えないし、これらが例えば平衡気候感度の誤差につながっていることは正しいでしょうが、それをもってIPCCの気候科学の最新知見を受け入れるべきではない、とはなりません。

そうした前提で、私は杉山氏と江守氏の対談も過去に調べましたが、杉山氏の指摘よりも江守氏の指摘のほうが信用できると感じました。ただしこれは私が江守氏と少しだけ話しをしたことがあると言った、個人的な経験によるところもあるでしょう。

もう1つ面白かったのが、APS総会は脱炭素推進利権の影響を受けているというお考えです。これは「へー」という感じです。まず、あらゆる部門、業界からの利権が存在するのに、APS総会では脱炭素利権が他の利権より強く、利権から独立した専門家部会の意見を無視した声明を出しても構わないし、事実そうしたという確証が私には見つけられませんでした。御用学者というのはどのサイドにもいます。

別の例として、500人(1600人)の声明は、いくつかのファクトチェックを見れば、石油利権の絡んでいる人が気候学者よりも多い可能性は高そうです。化石燃料業界におられる方にも素晴らしい方はたくさんいますし、信用できる方もたくさんいますが、業界がいかに科学的知見を歪めてきたかはナオミ・オレスケスなどが検証してきました。また、BTIについては、気候学者のマン氏が「偶然にも天然ガス利権と結びついている」と書いています。

私が言いたいのは、石油利権が絡んだ意見は信用するなということではなく、様々な利権があり、石油利権は相当程度力がある(あった)。その中でAPS総会のStatementは脱炭素利権に絡む御用学者などがまとめたものであり、APS内部で撤回された(らしい)かなり古い(1995年?)専門家部会の意見は専門家による今も通用する意見であるというのは、まぁ、そういうこともあるかもですねー、という感じです。

シェアされていた2014年頃のAPSのシンポをまとめた記事も読みましたが、(石油関連の研究者のようですが)書いた人の個人的主観も割とあるようで、こんな意見もあるだろうけどこれがIPCCが不正確という話にはならないし、ブログは数ある意見の1つであって、これがAPS会員の一般的な見解とは言えないと思います。例えばHiatusが議論されていましたが、2018年を待つことなく2012年に終わったという見解が今は一般的だろうし、これはブログの筆者が皮肉っぽく書いていたIPCCモデルが正しかったことを示すものでしょう。

少なくとも、気候変動の議論に関して、事実を歪めるほど他の利権を圧倒する脱炭素利権が存在するというのはビジネスの世界ではそうした流れはあるかもですが(ないかも)、科学コミュニティの中でそれを証明できるような知見はないでしょう。ましてIPCCよりもIPCCを批判する科学者が正しい可能性が高く、100%と負けるとわかっている国連は議論から逃げたというのは、私としては無視してかまわない説です。

つまりIPCCのAR6は不確実性や未解明な点があることは認めつつも、だから当面は変化はゆっくり、数十年も化石燃料を燃やして貧困を解決しようとはなりません。不確実性が存在する場合は、低頻度だが1回起こると壊滅的被害が起こるリスクを無視して良いとはなりません。IPCCがAR5とAR6で一番違うのはこの点の意識だと思います。

AR6は科学的知見の蓄積によって気候感度の幅が狭まり、少なくとも2℃以上の可能性が高いが上は不確実性がある(ただし高すぎることはない)、としたうえで、最終的にかなり踏み込んだ社会影響の見積もりを行っていると理解しました。

環境政策の分野では、過去の公害問題などの経験から、後悔しない政治、予防原則などの知見が積み重ねられてきました。IPCCはこのような環境政策の知見を割と明確に取り入れ、後悔しないためにも、科学的に不確実であるということを対策を取らない理由としてはならないという国際的な環境政策におけるコンセンサスに基づいて提案を行っているようです。IPCCが気候感度が高い可能性を懸念して対応強化を求めているのは、IPCCの中に予防原則を作り上げてきたドイツの専門家が多いこともあるでしょう。

私はISO31000はほとんど知りませんが、Perplexityで聞いたところ、「ISO31000の知見を正しく適用すれば、気候モデルの不確実性が存在するからといって気候政策を重要課題でないとする主張は支持されません。むしろ、ISO31000の原則に従えば、不確実性を認識しつつも、気候変動リスクを重要な課題として扱い、適切なリスクマネジメントを行うべきだと言えます」と答えられました。

また男さんが名前を上げておられるピケティは経済学の中では気候変動を真剣に捉え、対策を訴えているほうだと思います。彼は緩和よりも適応よりかもしれませんが、格差是正は気候変動における被害の不平等を抑制するうえで重要だといったことを述べているようで、まさに気候変動対策を重視する経済学者と言えるのではないでしょうか。
私が例に上げた省エネ改修はまさにピケティが気候変動と貧困対策は両方重要だとして挙げている施策の1つです(これについては男さんも特に否定はしていないと思いますが一応)。

また、貧困対策の視点が弱い政治グループと気候変動政策を停滞させようとする政治グループは重複するという点はAfDやFDPが該当し、妄想ではないですね。

SDGsを正しく理解していれば云々、、はまあ個人の意見だということにしておきます。

IPCCが正しくないという前提でのみ議論できるというのであれば、②の1.5℃目標について私の考えを述べる意義はほぼゼロですが、一応。

まず、今世紀に入って以降の温暖化のかなりの部分(1.1℃中1℃の寄与について非常に高い確信度)が人間活動が原因とされています。もちろんこれにも不確実性はあり、ますが、科学者の多数派のコンセンサスとして捉えて良いと思います。

気候政策において国際的に合意できる基本的な考えは、「人間活動による影響は可能な限り抑制する」であり、2050年の気温上昇は低ければ低いほどよいということでしょう。

そのうえで、古の時代に2℃目標が定められましたが、今は1.5℃を努力目標としています。なぜかといえば、2.0℃と1.5℃でも影響が異なる可能性が高いという知見が高まってきているからです。これらの知見はAR6のいろいろな場所で示されているように思います。

私はベルリンに住んでいるということからも、ポツダム気候影響研究所の講演を聞く機会が割とあります。2℃目標を提唱したシェルンフーバーやロックシュトロームなどは何度か講演を聞いています。

政治的な目標である1.5℃はある意味象徴的なものであり、1.5℃でなければならない、上でも下でもだめだ、という科学的根拠があるかと言われれば、そもそも1.5℃目標はそういう考え方で決められていないでしょう。

次に、では、推奨される対策で1.5℃目標を確実に達成できるかといえば、それはわからないが、可能性は高い。

ただ問題は、努力不足で3℃や4℃上昇した場合の影響は甚大であることはほぼ確実なことでしょう。最近の温暖化には人間活動の影響が大きいという仮説が、影響は小さい、または不明とするよりも確実性が高いのであれば、まず緩和対策をとるべきだという意見には違和感を感じません。そして、気候変動の影響はその規模が小さいときほど脆弱なコミュニティとロバストなコミュニティでの差異がはっきり出る可能性が高いわけですから、小さい気候変動でも抑える努力は必要でしょう。

格差是正、貧困対策はまず気候変動を前提に置くべきで、例えば極端な話、貧困対策として途上国に石炭発電所を建設することの意義は慎重に検討されるべきだと思います。個人的にはカーボンバジェットの考えから石炭新設が許容されるケースが絶対ないとは言いませんが、それでもまずは避ける方向で検討したほうが良いでしょう。

まとめると、AR6では少なくとも2℃よりも1.5℃のほうが目標として好ましいという知見が多数取り入れられていると思いますし、それらは科学的だと思います。

1.5℃がより好ましいと考える気候学者は例えばJames Hanse、ヨハン ロックシュトローム、ハンス シェルンフーバー、Valérie Masson-Delmotte、Corinne Le Quéréなどが該当すると思われ、彼等の主張はAR6で十分に紹介されていると思います。

IPCCのAR6は平衡気候感度が確定していないから使い物にならないという方にどこまで伝わるかはわからないですが、私の感想です。

少なくとも、予防原則に基づけば相当のコストを掛けて気候政策に取り組むことは、そこから得られるリターン、損失の回避を考えて正当化されると思います。仮に気候感度が3℃ではなく2℃であったとしても後悔しない政治が重要です。

話が変わりますが、ドイツの若者は気候正義を求める活動を行っています。中には抗議行動の内容に賛同できないものもありますが、彼等の主張する1.5℃目標の遵守は多くの科学者の支持を得ています。

気候危機は存在しないという男さんがご紹介した声明の最新情報ではドイツからこの声明に署名した科学者や専門家は118人だそうですが、若者を支援するScientist for Futureに署名した科学者は26800人を超えます。ほとんどはドイツ国内の人たちで、まぁ科学者コミュニティがどちらをより支持するかの1つの指標にはなるでしょう。

1.5℃の科学的根拠には複数の含意があり、何を意味するか悩むところですが、1.5℃目標を求める若者を支援する科学者は気候科学以外も含めてドイツ国内でもかなりの数がいます。

その中で、杉山氏のような「異端児」の意見をことさら取り上げることも1つの考え方です。私は科学的知見に乏しいので、少なくとも科学コミュニティがより正しいと支持する方を支持します。

何度か聞きましたが、1.5℃の科学的根拠を示せというのが一体何を意味するのか明確にはわからないので、質問②で聞かれたことはこうかな?と私が思ったことを書きました。

話はそれますが、気候危機に突き進んだドイツが再エネを推し進めたために今苦境に陥っているというご意見(と私は理解しました)は、正しい側面もありますが、不正確な部分もあります。

例えば、誰がノルド・ストリーム2を推進したかなどを分析すれば、ロシアのガス依存の原因は再エネを重視したからだというたまに聞かれる仮説は不正確です。失敗したことは間違いないですが。

ドイツのエネルギー政策の専門家として言わせてもらいますが、エネルギー転換が中途半端になってしまったから苦しんでいるのであり、そこにはエネルギー転換に反対する(一見賛成に見えてできる限り遅らせようとする)集団の強い働きかけとそれを訴える御用学者の存在があります。

最後に、もう一度、男さんと私がおそらく同じような考え方だろうと思う点を書いておきます。

  • 気候変動の科学的知見は不確実性を含みます。平衡気候感度は確定することは困難で幅があります。

  • 1.5℃が純粋な科学的根拠で確定した目標かと言われれば、そうではない面があるでしょう。

  • 気候変動の結果は人類終末論ではありません。

  • 貧困対策は重要である

  • エネルギー転換政策には、貧困対策からみて逆進性の高い手段が存在する

総じて、私はエネルギー転換をポジティブに捉えており、貧困対策と気候政策は必ずセットで実施しなければならず、気候に悪影響を与えるであろう貧困対策は取るべきではない、逆進性が確認される再エネ促進手段であっても長期的に見て取るべき手段はある、それがSDGsを正しく実践することであると考えていますが、そこは個人によって違いがあって然るべきところだと思いますが、同意できる点があるのは重要だと思います。

ここまで長々と書きましたが、1つだけお願いです。
AR6やIPCCが信用ならない、未解明な点はこれだ、AR4~6をちゃんと読めというツッコミはさすがに結構です。読み方が違うので、このやりとりを今後何度やっても結果は変わらないと思います。

多様な意見が併存すればいいし、どちらかが間違いでどちらかが正しいという話でもないので。

ありがとうございます!