見出し画像

デカローグ5・6@新国立劇場


 新国立劇場で初めて演劇を見た。U25で半額券が買えるというのに釣られ、この前のオペラに引き続き2回目の訪問。今回はポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの映像作品の舞台化で、団地での出来事を描いた10篇のうちの5、6作目の同時上演を見に行ってきた。

旧約聖書の十戒をモチーフに 1980 年代のポーランド、ワルシャワのとある団地に住む人々を描いた十篇の連作集です。人間を裁き断罪するのではなく、人間を不完全な存在として認め、その迷いや弱さを含めて向き合うことが描かれたこの作品は、人への根源的な肯定と愛の眼差しで溢れています。

新国立劇場HP(https://www.nntt.jac.go.jp/play/dekalog/?gad_source=1&gclid=Cj0KCQjw0_WyBhDMARIsAL1Vz8vbSOdhD8Ojd4xbdUv60alHTPlicnJxIExNv5brXveAR6JX6--2x78aAlguEALw_wcB

今回はデカローグ5「ある殺人に関する物語」、デカローグ6「ある愛に関する物語」を見た。舞台には団地の三階建ての建物。

デカローグ5「ある殺人に関する物語」

 死刑を止めたい新米弁護士と、タクシー運転手を殺してしまった若者の話。同じ場所にいながら殺人を止められなかった、という状況と、死刑反対の熱意が相まって、弁護士は求刑の結果に打ちのめされる。
 殺してしまった男は、殺す前に妹の写真を現像しに行く。愛する妹を自分の車で死なせてしまった男。男は殺した動機についても、妹への思いについても、何も語らない。弁護士に唯一語るのは、妹を轢いてしまった過去と、つい最近現像を予約した写真を受け取ってほしいということ、そして死にたくない、という悲痛な叫び。

 感情を知らない法の不気味な圧力が、行き場のない人間たちの感情を押しつぶし、沈黙させてしまう。

 タクシードライバーが、弁護士と若い男よりもよっぽど人間らしさ――小悪党の面をみせながらしかしふと優しくもなる、粘っこい人間らしさを見せているところに、惹かれる。男の動機がはっきりしない点や、ドライバーが清廉潔白な感じはせずとも大悪党ではないところから、人となりによる殺人の善悪を不問にしており一層人間離れした機械的な法の執行が浮かび上がって、人間世界から遊離している。
 

デカローグ6「ある愛に関する物語」

 望遠鏡で同じ団地に住む「アバズレ女」を覗く男と彼女の「愛」の話。女は愛を信じない。男に自身の体を触らせ、それで男が達してしまうと、男の言っていた「愛」を嗤う。お前も他の男と同じ、愛なんかじゃないのよ、と。その後男は手首を切り入院、女は気がかりで男に会いに行く、その様子は「愛する女」さながら。そして男と対面すると、男は言う、「もう覗いていません」と。

 男が女と邂逅するまでのくだりが良い。男は覗くという受動的な愛の向け方(好き心)から、直接電話をかけたり、自身の務める郵便局に来てくれるよう小切手返還通知の偽造書をポストに投げ込んだり、牛乳配達員になったりと能動的な愛の行動までに至る。男の偽造で女が嘘つき呼ばわりされた際に、その場で名乗ることができず、あとから女を追いかけるところも男の小心さと善良さが見えて良い。

 2つ見て思うことは、小心者で繊細な青年を描くのが上手いというところだ。「小心で繊細」とはなんだろう‥。自責の念が強い‥内省の強い‥でも、5の青年は外に力を向けてしまった訳で‥。歪な力を向けてしまう、相手との力のバランスが取れていない、そんな人間たちに愛おしさを感じるような‥そんなひと時だった。
 











執筆中聞いてた曲



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?