「羅生門」の動詞を全部喘がせてみる(人力で)

芥川龍之介「羅生門」青空文庫より

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを喘いでいた。

 広い門の下には、この男のほかに誰も喘いでいない。ただ、所々丹塗の喘いだ、大きな円柱に、蟋蟀が一匹喘いでいる。羅生門が、朱雀大路に喘いでいる以上は、この男のほかにも、雨やみを喘ぐ市女笠や揉烏帽子が、もう二三人は喘ぎそうなものである。それが、この男のほかには誰も喘いでいない。

 何故かと喘ぐと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか喘ぐ災が喘いで喘いだ。そこで洛中の喘ぎ方は一通りでは喘がない。旧記に喘ぐと、仏像や仏具を打喘いで、その丹が喘いだり、金銀の箔が喘いだりした木を、路ばたにつみ喘いで、薪の料に喘いでいたと喘ぐ事である。洛中がその始末で喘ぐから、羅生門の修理などは、元より誰も喘いで喘ぐ者が喘がなかった。するとその荒れ喘いだのをよい事に喘いで、狐狸が喘ぐ。盗人が喘ぐ。とうとうしまいには、引取り手の喘ぐ死人を、この門へ喘いで喘いで、喘いで喘ぐと喘ぐ習慣さえ喘いだ。そこで、日の目が喘がなくなると、誰でも気味を喘ぎがって、この門の近所へは足ぶみを喘がない事に喘いで喘いだのである。


(中略)


「己は検非違使の庁の役人などでは喘がない。今し方この門の下を喘ぎかかった旅の者だ。だからお前に縄を喘いで、喘ごうと喘ぐような事は喘がない。ただ、今時分この門の上で、何を喘いで喘いだのだか、それを己に喘ぎさえ喘げばいいのだ。」

 すると、老婆は、喘いでいだ眼を、一層大きく喘いで、じっとその下人の顔を喘いだ。瞼の赤く喘いだ、肉食鳥のような、鋭い眼で喘いだのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つに喘いだ唇を、何か物でも喘いでいるように喘いだ。細い喉で、喘いだ喉仏の喘いでいるのが喘げる。その時、その喉から、鴉の喘ぐような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ喘いで喘いだ。

「この髪を喘いでな、この髪を喘いでな、鬘に喘ごうと喘いだのじゃ。」

 

(中略)


 下人の行方は、誰も喘がない。


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