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怒りはいつもないがしろ

一発で引けてあんなにも嬉しかったはずの福山舞さんのトレカが、さっきふと手元にないことに気付いてゴミ箱をひっくり返したらあった。

捨てたのは明らかに自分で、それゆえほんとうに意味が分からなくて困った。

一緒に買ったアクスタの袋と一緒にテーブルに置いてひとしきり眺めた後、「アクスタの袋はゴミだから捨てよう」という気持ちだけが大きく働いて、感触は紙だったから気が付かず捨ててしまったんだと思う、たぶん。

起こってしまったやらかしの本当の原因は大抵わからないから困る。

自分では捨てる気なんて本当に一ミリもなくて、なのに結果として捨てられてしまっているという事実だけが空しく残る。

財布・スマホ・鍵等の貴重品類の紛失は人生で何度もやらかしていて、損失がかなり大きいのでなんとか対策を身に着けることができているけど、こういう類の残念ながら「失くしても困らない」ものはまだたまにやってしまう。

悔しくて空しい。

ゴミ箱から拾ったトレカは、裏面の白い部分に点々と黄色い染みが付いてしまった。
表はきれいなので、拭いて乾かしている。

さっき注文したスマホのクリアケースの裏に入れようと思う。

そのくらい気に入ってるのにどうして捨ててしまうんだよ。

社会人になってから、なんとか人並みに稼いで人並みに自立して暮らせているのに、たまにこういう「物をなくす」とか、「散財してしまう」「食べ過ぎてしまう」「寝すぎてしまう」「心無いことを言ってしまう」みたいなよくない癖が発現すると落ち込む。

例えて言うなら、ヤクザ映画に出てくる若者が、何度少年鑑別所で心を入れ替えても出所してしばらく経つと結局無法者に逆戻りしてしまうシーンを見ているような、本人は確かに苦しんでいるのに外側から手を差し伸べることができない類のアレに似ている。


役所広司主演の「すばらしき世界」を観た。

仲野太賀と六角精児を見るとどうしても「キショ松と原宿……」と思ってしまう。

インターネットに毒されている。

特に六角精児なんてオモコロを知るずっと前から「刑事ドラマの脇役の人」と認識していたのに、久しぶりに見たら原宿にしか見えなくてすごい。

もっとドラマ観た方がいい。

映画はやっぱりすごく良かった。

喧嘩っ早い主人公が、(理由は明かされていないが)ちゃんとした社会に戻るためにアンガーマネジメントを身に着け建前を体得していく。

一人の人が救われて良かった、と思う一方で、
「自分の暴力性を暴力性のまま保ち続ける生き方はどこにもないんだな」と思って悲しい。

私は些細なことでイライラしがちで、しばしばコミュニティの人と衝突する。

しかしそれでは生きていけないので、ムカつくチャットが来たら一旦トイレに逃げて留飲を下げたり、会議でムカつくことを言われたらとっさに大声を出そうとする口を噤んでただ黙ることを選んでどうにかこうにかしている。

それで自分の仕事は円滑になるし、人に迷惑をかけないで済むので正しいのだが、
あれやこれやと工夫をして自分の怒りを調理するたびに、自分の気持ちに嘘をついているような、それって結局我慢しているだけじゃん、という気持ちになる。

抱いた怒りが新鮮なまま発散する術は人間社会にはない。

それがうら寂しい。

もちろんすばらしき世界の主人公のように誰彼かまわずボコボコにして進んで行きたいわけじゃない。

会社の誰とでもスムーズにやり取りして仲良く飲みに行きたいと思っている。

それでも一度生まれた自分の怒りという感情を、無理やり水に沈めて温度が下がったところで小分けにして少しずつ捨てるみたいな処理の仕方ばかりしていると、どんどん自分の感情が自分のものではなくなっていくような気がして怖い。

笑も怒りもどちらも私の感情なのに、怒りはいつもないがしろで腫れ者扱いされている。


昨日は前職の同期と飲みに行って、すっかり楽しくなって帰ってきた。

どちらも今まさに恋愛をスタートさせんとしていて、前向きさに胸がいっぱいになった。

ガリガリで心配だと思っていた方の人は少し太って、巨体過ぎる方の人は筋トレを初めて40キロ痩せていた。

ひとの恋愛話を聞くと自分の心にまで花が咲くようで幸せだ。

今心に花が咲く様子を想像したら、心臓の内側に開きかけの桜の蕾がフジツボのようにぼつぼつと生えている感じでイメージしてしまい気持ち悪かった。
何かのモチーフに使おう。

自分の恋愛関連は今のところ完全に水平を保っており何の波乱もないので話すこともない。

人のコイバナをもっと聞きたい。

女友達たちは現状かなり男に困らされているようで、聞くと葬式のようになってしまうので強く踏み込めないでいる。

みんな幸せになってほしい。

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