見出し画像

ついでに寄った楽器屋のギターすげーホコリ被ってたの思い出してなんかムカついてきた

 ずっと嫌いだった奴と音楽の趣味が同じだったとき、なんとも言えない気分になった。
 別に女の子の趣味とかが一緒だとかは別にどうも思わないんだけど、音楽の趣味が一緒だというのは上手く言葉に出来ないけどいい気分ではないのは確かで。でもそいつのことが気になりだしたりして。
 あっという間にメンヘラ即席麺が出来上がってしまった。
 あいつも僕が好きな曲が好きなのだろうか、あの曲のあの部分で心震わせているんだろうか。好きな音楽の好きな部分の話を交わすのはとても楽しいことを知っている。
音楽を聴いて生じた感情ってものを僕は、尊い(激キモ形容詞)ものだと思っているから同じ感情が芽生えた人ってのはやっぱり嫌いになりたくないよなぁって思っちゃうな。
 性善説論者なので。……嘘だけど。

 自分が好きなものはいいものであると信じたいってのは大衆心理でもあって、ハロー効果が働いて。いい曲を作る人はいい人であるに違いないって。そうして盲目になって全肯定の「信者」と呼ばれる存在になってしまう。いい曲を作ってもいい人とは限らないのはビートルズがとっくに証明している。

 でも音楽ってのは結局いかに信者を増やすのかってところにかかっていると思う。というか音楽に限らず今はいかに信者を増やすかゲームだと思っている。サロンだったりね。昔からそうだったのだとは思うけど最近はより顕著にその傾向が現れていると思う。CDも売れない、となると一過性の大ブームを巻き起こすか信者ビジネスをやるしかないのだ。
 ともかくマルバツ問題で、
『人格と作品は切り離して考えるべきでしょうか?』と問われたらほぼ100パーセント、マルと答えると思うけどじゃあ実際どうなのかって話ね。

 で、実際僕はどうなのかというと音楽は宗教であるべきだと思ってる。僕達ニホン人はあんまり宗教と近くないからピンとこないけどでも人間やっぱ何かに頼って生きてかないとどっかで壊れるもので。それは社会が不安な時期になればなるほど詐欺に引っかかる人が増えることからも分かるし。結婚して、ってのもアレは一種の宗教と僕は考えてる。虫とかって本能で動いてるって言うじゃん。意思とかは無くて。人間も実はそうなんじゃないかなってずっと思ってて、全部高度で知的に意思が働いてると見せかけてその実全部の行動は不安から逃れるためという一点由来で動いてるんだ、って。で、そのひとつが音楽なんじゃないかなって思ってます。だから音楽関係者各位はあらゆる手を使って頑張って僕らを信徒にさせて欲しい。

 僕は逆張り天邪鬼クソ人間なのだが。そもそもまず産まれる段階で産まれない、産道から出ないという選択をして母体の中で予定より1ヶ月長く滞在してた人間なので、音楽聴くときもさっき書いた理論と逆行しようとしてなんとか音楽と人格を切り離して聴こうとしてしまう。

 例えば大森靖子。正直僕は大森靖子の人となりには賛成できない部分もある。ヨギーのやつとかは大森が悪いと思うし。でも新宿は、君と映画は、マジでいい曲。大好き。これは上手い方向にいった例で。逆に例えばさっきの信者ビジネスにのっとると性格がダメな時点で曲もクソってことになるし、そう判断する人は沢山いる。ソースはYouTubeと2ch。それってとっても悲しいことだけど誰が言うってのが全く必要ないかと言われれば必要だよなって思う。
 僕が言う「大丈夫」と孫悟空が言う「でえじょうぶだ!」どっちが安心できるかって話ですよ。
 逆にナオトインティライミとか多分良い奴なんだけど曲全然おもんないから聴かない。あんなに世界回ってみんなとトモダチになろうとしてるけど聴かない。てかそんなやつほんとに良い奴なのか疑わしくなってきたな。良い奴じゃないわ多分。

 ここ最近ずっとなにか予定を入れていないと頭がおかしくなる妄想に取り憑かれてカレンダーを黒くすることに尽力しているのだが、今日はラーメンを食べようと思って連絡して。

 ほんとに恥ずかしい話なのだが僕は結果から逆算して予定を立てるという行為が壊滅的にできないので15時に閉まるお店なのに14時に駅集合にしてしまって、割と歩くし、しっかり遅刻するし、Googleマップ見てるのに方向間違えるしで結局ラストオーダーに間に合わないという判断になって断念してしまった。ほんとにごめんなさい。こういう時ホントにダメで情けなくてどこか小さい虫になって消えてしまいたいと思うし思い出したくないことばっか思い出しちゃって前日『楽しみ』って送られてきてたなとか。
 
 呆れたような顔されてなんとか挽回しようと喋るんだけどこういうときって自分でもはっきりとわかるくらい僕おもんない。話しながらおもんね〜自分ってなって結局お金が今無いと言うので駅近くのどこにでもあるチェーン店に入った。その子はどうやら整形するためお金を頑張って貯めているらしい。目の整形について詳しくなってしまった。

 帰り道タワレコに寄ってまだ買ってなかったCRYAMYの新譜を買った。家に帰って聴いて、目を閉じて、歌詞をパソコンに手打ちして。
 
 宗教なんかだと基本的には良い行いをしなければならないぽいが音楽はなんもしとらん僕みたいなのでも救ってくれるんだよね。

 “音楽に救われた”なんてセリフはもうとっくに擦り倒されていて、ふいに口にすると陳腐なように感じられてしまう今日この頃なんですがそれはみんな聞き慣れてるからそう思うだけです。別に今更レッサーパンダを見に行きたいと思わないでしょ。でも僕はとっても奇跡な感覚で宝物のように思ってます。音楽が人を救うって。やば。

 CRYAMYの新譜良かったな。歌詞カードは老人を絶対殺す意志を感じるくらいバカみたいに文字ちっちゃくて、テリトリアルだけ手書きの文字で。喉をひねり潰しながら相変わらず歌ってて。新しいMVにCRYAMYは変わったなって書かれまくってたけど結局変わって変わって変わって変わって変わっても最後に大事なものさえ残ってればそれでいいんじゃないすかねって思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?