先日、Twitterで行った『川柳EXPO』(まつりぺきん編、2023年)をまとめておきます。気が向けば、全体の感想など追加したいと思います。
『川柳EXPO』はまつりぺきんさん(@mtrpkn)さんのツイッター上での呼びかけで集まった51人の川柳作家の作品を収録したアンソロジー。呼びかけから出版までがほんの数ヶ月というスピードにも驚きましたが、装丁、そしてなにより収録録句のレベルが高くて素晴らしいです。
アンソロジーとしての特徴としては、参加者それぞれが20句の連作・群作を寄せていること、ベテランから初めて(!)川柳を書いてみた人まで幅広い作り手が参加していること、現代川柳を牽引する小池正博氏による解題がついていることです。
とくに、20句の連作・群作なので、各作家のスタイルや川柳観がよく見えるのが興味深い。下の私の選句とコメントは、それぞれの書き手の個性がどこにあるかを自分なりにとらえてみようとして書いたものです。あくまで私の視点ですので、ぜひ『川柳EXPO』を手にとっていただいて(Amazonで購入可能です)、みなさんのお気に入りの句、お気に入りの作家を見つけていただければと願っております。
くっきりとした意味をもつ言葉と、適度の悪意。手がたい川柳。
スピードに乗った言い切りに特徴があり、言葉から書いているようでじつは現実的。
七七の連作に自己紹介の筋を通す。言葉の出どころが多く、また技術が高い。
物語性がある。サービス過剰に見えるところが愛嬌になっている。設定を通すところは戦略的。
トピックを広くとろうという意識がよい。動詞やつなぎ言葉が少しゆるい分、説明的になりがちか。
飛躍より詰め込みで独特の質感を出していて、他にない個性を感じる。漢字ガ多イネ。
身体をテーマにして上手く私性を処理している。常にツッコミ待ちの気配。
うさぎ連作。1句とりだしてナンセンスに面白い句(頭突きの句とか)がよいです。
松本零士トリビュート。各句の俳句的な構造はよいとして、文語調が読者の楽しみを邪魔している気がするなー。
美的世界の構築にふりきった連作。個人的には語やイメージがそろい過ぎていて退屈に感じる。まあ、好みの問題。
一字空けしていない句もあって、書き方にどのような意識をしていたのか聞いてみたいですね。俳句・川柳・短歌に慣れた人間は一字空けを避けるけれども、一般には一字空けにする人が多いのでく。
コメントにある「伝統川柳」かというとそうではないだろう。属性川柳から俗情へのもたれを削った感じ。「伝統川柳」や「伝統俳句」の「伝統」はややこしくて、素直に江戸期の古典につながるわけではない。むしろ明治〜大正期に成立した写生・写実を基盤にしたスタイルに当たる。関連語の「一読明快」も、人事の写生で、理屈や言葉あそびを読み解く必要がなく、すっと読み取れるものを指すのが本来だろう。「伝統川柳」を標榜しながらよく分かってない人たちもいるので厄介。古川柳には現代の属性川柳につながる謎かけっぽい要素もあり、雪上の句はそこにつながるもの。
群作としてまとまりがある一方、一句一句では意外性のある要素の組み合わせに依存。「現代川柳」の一典型だが、全体にもう一段熟せるだろうとも思う。
言葉づかいに緩急がある。とくに緩の使いかたが上手い印象。柿の句は?がなかったほうが面白いが対話の意識かな。
定型(あるいは短さ)の中で何ができるか、一句一句にたくらみがある。川柳の自由さのよい例。
言葉より感覚やイメージが強く、でもしっかり言葉に落とし込まれている。好みです〜。
幼児や夢にある暴力的(非)論理がよくチューニングした言葉で拾われている。全体にレベルが高い。
趣味性に傾いているように見えて、何というか、しみじみ人生を感じる。含羞の詩学。
関係に内包される加害者性・被害者性に敏感で、ゆるやかなナンセンスでそれを作品化している。
<感想の間奏>
昨日からの#川柳EXPO、一ツイートが基本の字数制限から、いつもなら「〜かもしれない」「〜と思う」などを取って断定で書いてます。あしからず。あと否定的な意見を書いているところもありますが、それはだいたい、私自身の句作でそうなってしまう時もあるなー、という自戒含みです。
俳句と川柳の境界がない。確かにそれで何が悪いかである。この作者の場合、ジャンルの境界線などに左右されないスタイルが出来ていて強い。
主観の吐露+αで、時実新子以降のひとつのスタイルとして完成している。川柳になるっぽいモチーフが目につくかな。
「圭伍さん、これはもちょっと頑張れるのではないかな」「次の機会があったら頑張ります・・・」「次があるかは分からんのやで」「まあそうですけど、そんなテンパって川柳なんかしとったら、続きませんで」「ま、それもそやな(笑)」
イメージの重ね方に陰翳がある。五七五だと溢れそうなのだけど、うまく過不足なく満たされている印象。
川柳を作るのを楽しんでいるのが伝わってくる。言葉の出どころが生活からで、かといってネタが少ないわけではない。
生活からそのまま出ているところと、演技性の高いところがブレンドされていそう。全体的に自然な発話と見える川柳。ボンテージ、bondageなので、ボンデージなのではと調べたら、日本語ではボンテージで定着してるんやねー。
伝統川柳の美点を残す、川柳大会的な川柳。このアンソロジーだと逆に目立っている。
定型句に奇想がハマったときに読みの距離が出ている。こういう作者がどうなっていくか興味がある。
小池正博や暮田真名、川合大祐を読み込んでいそう。いろいろできそうな作者。
言葉の出どころが多彩で、シンタクスの工夫にも幅がある。独特の川柳味もある。
発想や論理が透けてみえすぎるところがある。必ずしもマイナスではなく、強みにも転化する気がする。
大会川柳とネット川柳の中間で、ネットから始めた人には参考になる。写実と飛躍のバランス。
上の世代とは言葉の(また生きていることの)背景が違うことがはっきり見える作家。その上で川柳の技術はしっかり継いでいる。4句目は墨作二郎の向こうを張った長律。
本格伝統系といってもよい写生味がある。大会の特選句としてこんな句が並ぶといいのになあ。
イメージが印象的で、シャープなSFのように決まった句がある。日常的印象が入るとぼやけるか。
ドラマ性のある私川柳の連作だが、テーマに対して十分な距離をとっている印象。技術としては時実新子だが、新子たちの世代のような爛れた切迫感はない。よい悪いの問題ではないが。
(不在の)海をテーマに世界との距離をさまざまに探っている。こうした探求は、連作を書く意味の一つ。
なんだか達人の雰囲気を感じる(笑)。句作と暮らしてきた経験が活かされてというか。
言葉のエコノミーが確立していてどの句もすとんと「一読明解」。逆にいえばすとんと来なければ全くわからないかも。
無理のない奇想がつづいて楽しく読める(素晴らしい)。ポップという形容が似合いそう。
「無」がテーマの連作、だがいつも通りなのがすごい。組合せやねじれなどで名詞も動詞も副詞も何も同じ濃さで立ち上がる。
連作でしかないリズム。句読点や記号がよく働いている。企画関係なしに連作メインでいい気がする。
実際見たものをそのまま書いて、それでも川柳になっている句がある。そのまま書いただけのものも。その違いはどこなのかなあ。
ファンタジーにある夢や禁忌が日常によりそって写しとられている。幸福なようで窮屈なようで。
自身の感覚が軸だが、それを読者とのあいだに置く技術かがある。言いまわしに派手さはないが多彩。
「客観的相関物」(情緒や思想を受け止める具体的イメージ、T.S.エリオット)がしっかり句を支えていて、安定している。
こちらはイメージは抽象的でばくぜんとしているが、それが緩みではなく印象の広がりになっている。
物語性が一句一句で強い句群。世界から取り残された小さな世界それぞれの物語という感じ。
川柳のリズムや視点もここまで自由になりました、ということをこの句群でわかって欲しい。もちろん内容によりそったリズムのことです。
文芸性にまっとうなモチーフとつくり。納得の句も多いが、古文調に流れるのはもったいない。
誰もが見ているけどじつはよく見ていないものを見る、という意味で川柳的な目線をもった作者。意外と少なくなっているタイプかも。
すごくよいと思う句と、読者サービス?が過多と見える句がある。ただ「読める」(一般に)句を書ける作者でもある気がする。
すべて人気テレビ番組名のもじりになっている。二十句並ぶと壮観。ジャニーズ喜多川性加害事件で、私たちが生きてきたあいだのメディア環境が(今だけではない)ずーっと異常だったことがはっきりした。さらに全体としてはそれを解消する方に向かっているようにはまったく見えない。この二十句はこのグロテスクをパノラマと見せている。まあ、自分の人生で見てきた番組が並んでいるので、真面目に見ているとかなりきつい。しかし現状はこんな程度のものではないとも言える・・・。