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ディッシュクロスとカナダのおばあちゃん

2020年6月

私は横浜の山下公園のベンチに座って、ぼーっと海を眺めていた。ふと思い立ち、手すりのそばまで行くと、マスクをとって深呼吸。

海の匂いをいっぱいに吸い込んで、ふう〜っと息を吐いたら、はあ〜っと力が抜ける。やっぱり海はいいなあ。何気なく視線を落とすと、海面にはポテトチップスの袋がぷかぷかと浮かんでいた。

その瞬間、海が汚れていく恐怖心のような、海を汚す人間として生きている罪悪感のような、もうどうすることもできない無力感のような様々な感情で心がザワザワとし始めた。

それから数日の間、私は自分の生き方、働き方、暮らし方についてあれやこれや考えを巡らせていた。

何かヒントが欲しいと立ち寄った本屋さんで「プラスチックフリー」という言葉に出会う。おりしも1ヶ月後の2020年7月からレジ袋の有料化が始まるタイミングだった。

なんでも、化学繊維のものを洗うと「マイクロプラスチック」という小さな小さなプラスチックのかけらが排水溝から海へ流れ出ているのだという。

そういえば、カナダのおばあちゃんはコットンの糸で食器洗いを編んでいた。

20年前にホームステイしていたホストファミリーはおばあちゃんの編んだDishclothで食器を洗い、キッチンのカウンターを拭いたりしていた。

アクリル糸で編んだエコたわしは以前から知っていたけれど、ハンドタオルのような1枚布で食器を洗うのは初めてのこと。

しかもアクリルではないコットンの糸で編まれている。その時はなぜコットンの糸を使っているのかなど疑問にも思わなかったけれどもしからしたらおばあちゃんは知っていたのかもしれない。

カナダでの暮らしは日本のそれとは全くスピードが違っていた。手編みのクロスで食器を洗い、子供たちは手編みのセーターやミトンを身につけ、ベットルームには刺繍のタペストリー、ダイニングルームの照明には手作りのステンドグラス、キッチンにはガラスのクッキージャーがあり、ホームメイドクッキーがいっぱいに入っていた。ホストファミリーの家は手作りのもので溢れ、家族と過ごす時間を大切にし、季節の移り変わりとともに自然の美しさを味わい、野生動物たちの可愛らしさに心を和ませる。

一日、一日が生きている幸福感に満ちていた。

カナダで出会った友人たちもまた、ごく普通に地球に優しい暮らしをしていた。オーガニック食品を選ぶのは自分の健康のためではなく、その方が環境にやさしいから。無添加の石鹸を選ぶのは自分の肌のためではなく、その方が環境にやさしいから。そういう価値観で生きる人に出会ったのは初めてのことだった。

しかも、そういう暮らし方を声高に主張したり誰かに勧めたりすることもない。ただ淡々と大切に思うものを大切にして生きている。だから私はカナダが好きになった。

おばあちゃんの食器洗いをもう一度編んでみよう

カナダでの暮らしを思い出し、もう一度Dishclothを編んでみることにした。大切に思うものを大切にして生きるために。

だけど、日本はカナダとは違う。私は都市部でのスピードについていくのに必死だ。地球にやさしい暮らし、手作りのある暮らし、そんなものを大切にしていればあっという間に置いていかれる。やるべきことが次から次へと押し寄せ、手作りをする時間などない。ついつい便利なものに手が伸びる。日々溜まっていくプラスチックごみ。

自分の理想とする暮らし方、生き方、働き方とは程遠い現実。表向きは「地球にやさしい」といいながら、本当は自分のことしか考えていない人々。私もその一人かもしれない。そう思ったら糸を持つ手が止まってしまった。

本当に地球にやさしい暮らしをするのなら、田舎で野菜など育てて、地球の二酸化酸素を少しでも減らすような生き方をするべきだ。そうできない私に地球にやさしい暮らしを発信する資格はない。

身体は正直に反応した。指が痛くて編み物ができなくなってしまった。

なんのために食器洗いを編むのか分からなくなった。

そんな理由で半年ほど編み物から離れていた。幸いにも編み物以外にも好きなことはたくさんあった。でも、それをやって何になるのか、何のためにそれをやるのか、ぐるぐると迷路の中を彷徨っている気持ちになった。

ある人にどんな生き方をしたいか、自分で決めることが大事だと言われた。

どんな生き方をしたいか、そんなこと遠の昔に決めていた。だけど「どうせ私には無理」の重い重い蓋がずっしりとのっかていた。その重い重い蓋をどかすために、ただただ毎日祈り続けた。私はなんのために生まれてきたのか思い出させてください、と。



「楽しむこと」




「楽しむことだよ」




小さな小さな子供のような声が聞こえた気がした。


私は編み物作家でも編み物講師でもない、ただの「食器洗いを編む人」だ。

休みの日には何時間でも海を眺めていられる。疲れた時はどんぶりいっぱいの小豆を食べる。感情移入しすぎるからテレビは見ない。昔見た好きな映画を何十回も繰り返してみるタイプ。パスタとピザが好きだけど食べるとお腹が痛くなる。料理は好きだけど得意じゃないから簡単にできる美味しいレシピを常に探している。炊き立てご飯になめ茸と海苔の佃煮の組み合わせが最高に好き。カナダに関するものならなんでもテンションが上がる。おばあちゃんが教えてくれたDishclothを編むとカナダの海を思い出す。カナダの海を想いながら私は今日も食器を洗う。



なんのためとか難しく考えるのはやめた。私はただ、好きなんだ。食器洗いを編むことが。だからこれからもずっとずっと食器洗いを編んでいくことにした。大切にしたいものを大切にしながら淡々と生きる、カナダで出会った友人達のように。

もしも誰かがその食器洗いを使ってみたいと言ってくれたなら、もしも誰かがその食器洗いを編んでみたいと言ってくれたなら、カナダのおばあちゃんがそうしてくれたようにこうやって編むんだよと一緒にDishclothを編みたい。



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