雑記

子供の時代に誰しもがキュートアグレッションを受ける可能性があり得ると、経験から考える。
きょうだいや親からそれを受けるのだ。

虐待にまでは行かない、ただ人によっては精神をすり減らす経験になる。感性により左右されるかもしれない。回復力により左右されるかもしれない。どれほどの影響かは。
あるいは自分が圧倒的に強者で好きに出来る愛らしい弱者を所有しているかが要点かもしれない。

自分の経験からだが、おちょくられる、からかわれる、ちょっかいを出されるなど。
好きなものに茶々を入れられることなども辛いものだ。
なんとなく痛めつけられる、尻を触られる(同性なのにね!)なんかも嫌なものだね。

こうした行いが子々孫々に受け継がれるのだ。
これがカルマ(業)と考えても良いと思う。
ゲームのメタルギアで知った哲学的概念だが、ミームというものも該当するだろう。
代々の親子関係にとどまらずに、社会組織には須らく適応される現象だ。
断ち切る、或いは変化させることは難しい、自分が環境に適応するほうが易しい道だ。
自分のような頑固者には寧ろ難しい道だ。
受け入れ、飲み込み、波の一部となり乗りこなし、望む方角へ向かう傑物もたまに存在する。学ぶことは多いが、そっくり真似などできない人間の天才の部類である。

話を戻すが、キュートアグレッションを受ける・行うことも乗りこなせた・受け入れられた場合には社会に適応した生存者として大なり小なり次代へと継承していくだろう。
消化できずにいる者は、またそれに囚われ別の面にて継承を行うものだろう。

結局のところ逃れられぬカルマなのである。

救いようが無いだろうか。
それは初めから妄想なのだ。
愛故に苦しむって聖帝も言ってたし……。

具体的に鎖を消す方法として、禅定と智慧によるものは経験はあるが、毒矢の喩えが一番クリティカルヒットなお話ではなかろうか。

まとめ
神様!俺の毒矢を抜いてくれ!そして憎きアイツラに毒矢を滅多刺しにしてくれ!(苦しみの連鎖)

ほんとのまとめ
カワイイからって苦しめるのは可哀そうだから慈しもうね。(慈悲)

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