大橋保夫「フランス語とはどういう言語か」の性に関する箇所を抜粋。

p8  印欧語族の言語のほぼ全てに見られる現象。印欧祖語にあったものが諸言語のほぼ全てに残っているということは、単に惰性だけでは説明できない。
p9  仏語の文法上の「性」は単に保存されているだけでなく、その特徴は強化されつつある。中性が消えたこと、男女同形だった形容詞が別形をもつようになったことなど。
p9  ひとたび名詞で表現されたものは、無生物でも抽象観念でも人間と同じに扱う文法体系をほぼ完成させた。
p10「形容詞が何にかかるかをはっきりさせるため」「同音異義語、短くて紛らわしい語の区別をつけるため」という説もある。性がそのような役割を果たしていることは確かだが、歴史的に見た場合は順序は逆だし、何よりそれが「性」によらなければならない必然性がない。それに、文法機構の大きさ、その運用のために必要な話者の知的努力の膨大さに比し、その効果が小さいことは不釣り合い。それらは副次的機能に過ぎない。
p11学習のためにはどの単語が男性でどの単語が女性かを覚えることは大事。しかし、言語の機能としては、どの単語が男性か女性か、なぜ男性か女性かという問題より、男性女性の区別があるということ、なぜ性の区別があるかということの方が重要。
p11無生物にも生命があると思っていたのでは?とか、性はその反映では?と考えたくなるがこれが間違いのもと。
p13性はものに固定されているのではなくて、どの単語を使うかによる。ある男をune personneという語で指したとなれば、それに伴う冠詞も形容詞も代名詞もみな女性形になり…。p14文法上の性は動物の性を含めて、もの自体に元々あるものを言語にうつしたのではなくて、言語で表現することによって生ずるのだということ。性は物にではなくて単語(名詞)になる。この点についての誤解が言語学者をも迷わせてきた。となると、なぜそうのような文法範疇が言語体系の中に必要なのか、生物学的な性との関係はどうなのか、ということが重要になる。
p14  文法の性は言語体系に組み込まれた擬人的メタフォール(隠喩)の機構の中心的要素なのだ。動詞は人間の行動に関するものが圧倒的に豊富で、無生物や抽象観念の間の関係を表現する動詞はわずか…人間の表現を借用するのが一番手っ取り早い。我々自身のことだから言語に移したときも意味の輪郭がはっきりしている。
p15  感覚で直接にとらえられない関係を思考の対象とするための仕組みなので、抽象的思考が多くなればなるほどそれが必要になるし、その機構が発達するほど抽象的思考がし易くなる。…文法化するということは、個々の単語の問題としてではなく、言語体系の中にシステマティックに新しいメタフォールを作り出す装置や材料が準備してあるということ。
p15  日本語は性を持たないがその代わり「動物」と「無生物」の区別がかなりはっきりしている言語。ねこなら机の上に「いる」だが本なら「ある」vieuxという形容詞を訳しても、人いついてなら「歳を撮った」、物についてなら「古い」になる。語彙の体系も性のある言語とは違ってきて、自然認識の諸範疇に対応する単語の分類が生まれるはずだし、擬似的メタフォールで無生物や抽象観念に生動的表現を与えることも困難。
以上。

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