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ウエディングドレス


 私は、娘のウエディングドレス姿を見るのが夢なの。娘が生まれた瞬間から、楽しみにしてきたのよ。
 夫と離婚して、生活が困窮していく中でも、いつか来る娘の最高級の幸せを夢見てきたの。
 それなのに。



 座卓で向かい合う娘の表情は、幸せとは程遠い。

「――ごめんなさい」

 そう言うが早いか、娘は座卓の横で、土下座をした。
 娘は、聞き間違いじゃなければ謝る前に、男の子になりたい、と言った。

 男の子に? 娘が息子になるってこと?

 そんな簡単になれるものなのかしら。いいえ、きっと想像を絶する苦しみが待ってるわ。だって、生まれ持った体についているモノを取ったり、新しく付けたりしなくちゃ、なれないでしょう? 産まれて今年で二十二歳、とうに成長しきった体だし。
 病気になって、体の一部を摘出するのとはきっとわけが違う。健康な体にメスを入れるんだから。
 そう思うと、長い間言葉が出せなかった。

「お母さん。私は、男の子になりたいんです。小学生の時からずっと、体が気持ち悪くてしょうがなかった。クラスの男の子と同じくらい背が高くなりたいし、筋肉のついた体になりたい、膨らんだ胸なんていらない。
 どうすれば良いのか分からなくて諦めてたけど、初めてナベシャツを買ってつけたら、もう我慢が出来なくなった。お母さん、お願いします。お母さんの夢を潰してしまうこと、許してください」

 沈黙に耐えかねたようだ。姿勢を崩さないまま、早口で捲し立てた。娘の嘘のない真剣な言葉に、哀しみを抱いた。

 この子は昔から、男の子と一緒に公園中を駆け回ることが多かった。毎月のように使いきる絆創膏に、ふたりで笑い合った日もあったわね。

 正義感が強くて、相手が男の子だろうと怯まずに立ち向かう勇ましさ。中学校にあがってから、それまでが嘘のように落ち着いたけれど、本当は悩んでいたの? 人知れず苦しんでいたの? だって中学生は男女で制服が変わるし、なにより体つきもハッキリと分かれていくでしょう。

 思春期だから、気になる子でもいるのかなあ、なんて、微笑ましく思っていた過去の私に、そうじゃないのよ、と言いに行きたい。叱りに行きたい。
 ちゃんと娘のことを見て、話をしなさい、と。

「……なに言ってるの?」

 娘の後頭部がぴくりと震えた。
 艶々の黒髪は、耳に少しかかるくらい短い。そういえば最後に肩より長い髪を見たのは、いつだったかしら。
 娘が自分で選んで整えている短髪や、クローゼットから減っていくスカートは、娘なりのサインだったのかもしれない。
 ふと、この時始めて気付いた事柄に、胸が苦しくなる。

 けれどきっとこれ以上に、娘は苦しい想いをしている。
 私が、苦しんではいけない。

「顔を上げて。そんなことしなくていいの。お母さんはね、確かにあなたのウエディングドレス姿を見たかった。けれどそれは、あなたが一番幸せだと感じ、心の底から輝いている姿を見たいってことなのよ。許すも何もないわ。あなたの思う自分の幸せを、これから掴んでいってちょうだい。そしてそれを、お母さんに傍で見守らせて。ね?」
「……おかあさん」

 子は泣いた。大きく声を上げて。

 息子になるなら、名前を変えなくちゃね。この子の名前は私の祖母がつけた、女の子らしい可愛い名前だもの。男の子には似合わない。
 楽しく思う気持ちと、その裏で、言い表しにくいどろどろとした感情が渦巻いている。


 私の夢は、娘のウエディングドレス姿を見ること……だった。

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