プリパラの曲をまじめに考えてみた②0-week-old

こんにちはぷり。
プリパラの曲の歌詞をまじめに考えてみていくことにしたシリーズ、2曲目はファルルの『0-week-old』ぷり。
ご存知の通りこの曲は2種類の歌詞があって、1つは1st seasonの『0-week-old(ゼロウィークオールド)』、もう1つは2nd seasonの『0-week-old(ラブウィークオールド)』ぷり。
タイトルの読み方もゼロからラブに変わったぷりね。
今回は1st seasonの歌詞を踏まえつ、2nd seasonのほうの歌詞を考えてみたいぷり。
今回も考察にも満たない妄想であることを最初にお詫びしておくぷりよ。

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『0-week-old(ラブウィークオールド)』
独りぼっちの週末は夜の中で終らせ 新しい私達
指に熱と微笑み 耳に歌と口づけ 優しくハグを

怖がっていたのは 幼いハートなの
日々はいつも瞳を輝かす 革命の訪問者

私はもう世界と愛に落ちて恋した 初めてなの 命に触れてる
貴方がまた高める鼓動 ここに留まる意味を見つけそしてお話が開く

寂しがり屋さんには何度も髪を撫でて語ってあげる
愛を知った時の驚きと戸惑い
やがて笑顔出逢う気持ちの波 貴方への物語

私はもう世界と愛に落ちて信じた 希望残る最後の1ページ
今が何曜日でも気にならない 交わした約束ならこんなにも鮮明に

生まれて来た事こそ生き続けてく理由 愛してくれてそう感じた
月曜火曜水曜木曜日金曜日土曜日から日曜日もさよなら もういらない

むかしむかしの私 どうか諦めないで手を伸ばして愛の種拾い
人はやがて世界を慈しんで広がる
動き出すわ 笑みも痛みもある未来
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●なぜ「恋に落ちて愛した」ではなく「愛に落ちて恋した」なのか
一番のサビに「私はもう世界と愛に落ちて恋した」という歌詞がある。
一般的に考えると恋→愛の順番ではないかと思うところだが、この曲では「愛に落ちて」→「恋した」という順番となっている。
これはなぜかというと、それぞれの対象が違うからだ。つまり、「世界と愛に落ちて(貴方に)恋した」ということである。
世界を受け入れて(愛して)→貴方に恋するという順番だ。
では世界を受け入れるとはどういうことなのか。

●私だけの繰り返す物語→あなたとの動き出す物語
ここで1st seasonの歌詞と2nd seasonの歌詞とでは時の流れの捉え方が異なることを指摘したい。
前者を<ゼロ>、後者を<ラブ>ということにする。
<ゼロ>は、時を繰り返すものとして捉えている。例えるならば、円のイメージだ。
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『0-week-old(ゼロウィークオールド)』
「月曜日に目覚めあくび…(略)…土曜は眠る 繰り返されるweekend」
「日々はいつもまるで変わらない」
「誰かがねじを巻いて動く仕組み日曜日」
「誕生の日 記念日 祝福の日 巡るわ 一週間 私だけの最初の物語よ」
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「ねじ」というのも繰り返しの象徴である。
ぜんまい仕掛けの人形をイメージしてもらうといいのだが、ねじを巻いている間だけ動けるぜんまい人形のように、日曜日を迎えるとねじを巻いて最初の月曜に戻り、また同じ一週間を繰り返すのだ。
ファルルにとって存在するのは月曜日から日曜日までの一週間だけなのである。(それも同じ一週間だ。)
そもそもタイトルが「0-week-old(ゼロウィークオールド)」だ。これは、0歳のことを英語で0 year oldというが、ファルルの命は一週間だけなので、0歳ならぬ0週歳?という意味だろう。

そしてこの一週間という短い命の中では、他者と出会うことも、外界と接触することもない。
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『0-week-old(ゼロウィークオールド)』
「もう6日目の朝 何も持たないまま その身一つだけで踊れるなら それだけでかまわない」
「指先さえ世界に触れられずに生きてく 今あるのは透明な感情だけ」
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ファルルの世界はファルルだけで完結している。他者が介在する余地はない。いや、あったとしても、一週間がたてばまたリセットしてしまうのだとすれば何かを手に入れるだけ無駄である。「その身一つだけ」あれば十分だし、「透明な感情(=無感情)」でいいのだ。

対して、<ラブ>では繰り返す時から脱却し、時を先に進むものと捉えている。例えるならば、円に対して線のイメージだし、輪廻からの解脱のイメージといっても差し支えないだろう。
「独りぼっちの週末は夜の中で終らせ 新しい私達」「月曜火曜水曜木曜日金曜日土曜日から日曜日もさよなら もういらない」という歌詞からは、繰り返される一週間を捨て、新しい私として新たな時を刻んでいくことが示唆されている。
世界と接触せず、自分だけの時を繰り返すことはある意味幸せだといえる。煩わしい世間の出来事から遠ざかることで、心の平安が保たれることもあるだろう。
先に進む、世界と関わっていく、ということはいいこともあるし悪いこともある。心の平安は保たれないかもしれない。気持ちは揺れ動くし(「気持ちの波」)、傷つくこともある(「動き出すわ 笑みも痛みもある未来」)。
<ラブ>は、それでも貴方とならその世界を受け入れる、という歌詞になっているのである。

●「貴方」とはだれか
1番に「革命の訪問者」とあるので、もう言うまでもないのだが、「貴方」というのは2nd seasonでプリパラに革命を起こす者として登場した紫京院ひびきのことである。
ここからは歌詞解釈ではなくがっつりプリパラの話。
1st seasonはボーカルドールであるファルルが普通の女の子として生まれ変わる物語だったが、2nd seasonはひびきがボーカルドールを目指す話(主人公=らぁら達側から見ればそれを阻止する話)だ。
ファルルはボーカルドールなのでプリパラの外の世界(=現実世界)に出られない。これは1st seasonで女の子としての肉体や感情を手に入れてからもそうである。
そのため、ファルルはひびきがボーカルドールになるのを唯一喜び、支持していた。
らぁらに「ひびきさんがボーカルドールになりたいって聞いた時どう思った?」と聞かれた際、「嬉しかったよ。だって夜はいつもひとりぼっちでさみしいもの。らぁらは夜はいないもの。」と答え、誰も寄り添えなかったファルルの悲しみが浮き彫りとなった。

ちなみにファルルがひびきに恋愛感情を持っていたかどうかについてははっきりと描かれていないが、匂わす描写は確かにある。73話「彼女がデビューする日」でひびきが実は女であることを明かすが、その後の2人の会話でひびきが「この顔が気に入らない?」と聞き、ファルル「ううん、とっても素敵。でも…」と言葉を濁す。この「でも」に続く言葉の伏線は回収されていないが、恐らくふわりと同様、ひびきが女性だとわかって(自分でも自覚していないが)ショックだったのではないか。

●ファルル―ふわり―ひびきの三角関係
しかしひびきは結局ボーカルドールになれなかったし、ならなかった。ボーカルドールになることは人間としての死を意味する。二度とプリパラの外には出られなくなる。それでも煩わしい現実から離れ心の平穏を取り戻すことをひびきは願ったのだが、最終的にボーカルドールにならなかったということは、ファルル(理想)ではなくふわり(現実)を選んだともとれるのではないか。0-week-oldはファルル→ひびきのラブソングと捉えられるが、本編ではファルルの失恋で終わってしまったということだ。

ちなみにふわりはひびきの説得を諦めた後、ファルルの説得に向かう。説得といっても、ボーカルドールになることが本当にひびきの為になるのかを問い、「わたしのふるさとパルプスに咲くマーガレットも美しいのよ。あなたにも見せてあげたい。」と言っただけだ。
だがその言葉を受けてファルルは、ひびきがボーカルドールになることを望むことは、外の世界で生きる自由を奪うことだと気づき、ひびきを止めようと決心する。
これはなかなかエグいことである。お前は外の世界で生きる自由をひびきから奪おうとしとるんやで、と言ってるわけだが、その自由こそファルルが一生得ることのできないものだからだ。
ファルルが泣きながらに「パルプスのマーガレットも美しいの。とっても美しいの。ボーカルドールになっちゃだめ。」とひびきを説得するシーンは何度見ても泣いてしまう。プリパラ屈指の名シーンなのでまだの方は是非見ていただきたい。