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遅ればせながら、節分祭にて

 2月の節分の日に、近所の神社に豆まきの神事を見に行きました。

 近所には幾つか神社がありますが、中でもその神社は、とても古い木造の小さな神殿を擁していて、その神殿の華美ではなく、実に慎ましやかな雰囲気と重厚な趣のあるところが、私はとても好きです。
構造的には、いわゆる幣殿というものがなくて、本殿と拝殿が繋がっているような建築様式なのだと思います。

 宮司様が毎朝、陽が昇る前から敷地内を丁寧に掃き清めていらっしゃることもあって、境内はとても清らかな空気といいましょうか、明るく清澄な空間に保たれています。私がそのように常々感じているに過ぎないのですが。
その神社を管理されている宮司の生き方といいましょうか、常日頃の姿勢みたいなものが、その神社の佇まい、風情といったものとして現れているのではないかと、私は勝手に考えておりまして、いやぁ、見事だなぁと思うのです。
 私は氏子ではないので、単なる見物客の一人でしかないのですが、この神社の季節ごとに行われる神事には、なるべく参列するようにしています。

 今年は3年ぶりに、大人の背の高さほどある花道が神殿の両側に設営され、そこから氏子総代や年女年男の方々によって、節分祭に集まった老若男女に向かって福豆が撒かれるということもあり、初めて見る私も楽しみにしていました。
 コロナ禍においては、この大掛かりな豆まきだけが中止されてきましたが、人々が楽しみにしている見ものは他にもありまして、それらは継続して執り行われてきました。例えば、宮司様による厳かは雰囲気の中での祝詞の奏上であるとか、古典芸能者による笛と太鼓のお囃子や、赤鬼青鬼による寸劇、恵比寿神や大黒神による舞などです。そして、特に子供達が毎回楽しみにしているのが、「お菓子の福袋(レジ袋に駄菓子が詰め合わせてある)」の配布です。

 例年、この節分祭で最も場が盛り上がるのは、子供達に大人気の赤鬼と青鬼が登場する瞬間ではないかと思います。宮司様による祝詞奏上等の儀式が終わり、リズミカルで明るい調子のお囃子が始まったなと思うと同時に、集まっている人々の背後から突然鬼たちが現れるのです。
そして、荒々しい声と仕草とで、子供たちを脅かしながら神殿に向かって練り歩きます。子供も大人もワハハと笑いながら喜んで怖がります。その間も、スマホから目を離さずに、写真や動画を撮影しながら、ずっとスマホの画面を通して見物している人が多いのは、いかにも現代らしい風景だと思いました。

 鬼たちは神殿へと上がり込むと、宮司様と対峙し、悪事を働かぬよう諫められ、氏子総代と年男年女の方々から盛大に豆を撒かれて退散するという、ちょっとした寸劇が繰り広げられます。神殿から退散した鬼たちが、再び人々の中へ下りてくると、往路の時には持っていなかった一升瓶のお神酒を片手に、寄ってくる子供達を脅かしつつ、スマホで一緒に写ったりしながら、やがて名残惜しむ子供達を残して退場していきます。
そして、鬼たちと交代するように、今度は金糸銀糸が織り込まれた豪華な衣装を纏われた、福福しさ全開の恵比寿様と大黒様が現れるのです。モーゼが海を割ったかのように人々は道を開け、その間を二人の神はしずしずと神殿に向かって進まれます。この間も、お囃子はずっと続いています。

 神殿に上られれた神様たちは、順番に舞いを披露されます。舞い終えた後に、再び人々の中へと下りてくるのですが、その時、恵比寿様は、往路の時には持っていらっしゃらなかった立派な鯛(本物)を、釣ったぞ!とばかりに誇らしげに高々と掲げられ(嬉しそう)、大黒様の方は、美しい打ち出の小槌を子供達や大人達の頭の上に優しく振りかざしながら、練り歩かれます。赤鬼青鬼の時と同様に、子供も大人も二人の神様を取り囲み、喜んでその祝福を受けるのでした。そして、勿論、その間もスマホ撮影を忘れません。

 ここまでが、コロナ禍にあっても毎年行われてきた、この神社における節分祭の景色になります。ですが、今年はこの後に、花道からの豆まきが行われるとあって、二人の神様たちが退場される前に、人々の波は早々に場所取りのために花道の方へと流れてしまい、神様たちがその場にポつんと取り残されてしまったのは、何とも寂しく、お気の毒なことでした。

 豆まきを今か今かと待ち受ける人々が、子供よりも大人の方が多いと感じるのは、花道に近い最前列に子供達が並び、大人たちの陰に隠れてしまっていて見えないこともありますが、実際に大人の数の方が多いからだと思われます。節分祭とは、子供だけではなく、老若男女のあらゆる世代が主役の、神事なのだなぁと思いました。そして、いざ、鬼は外!福は内!と豆まきが始まった途端、そこは戦場と化したのでした。

 空に舞う、あるいは、地面に落ちた福豆を奪い合う人々の姿からは、執念といいましょうか、執着というものを感じます。皆、幸せになりたいのです。それはむろん私もです。ですが、私は放下著 (ほうげじゃく)という言葉が結構好きであり、執着こそを手放したい最たるものであり、福豆(という執着)を目指して突進していくわけにはいきません。人々の様子をぼーっと眺めていた私は、一つも福豆を拾えませんでした。それはそれで満足だったのですが、何か祭に参加してないみたいでちょっと寂しかったので、帰りにスーパーに立ち寄って、節分用の豆を一袋購入して親への土産としたのでした。

 さて、盛大な豆まきの後には、この日の最後のお楽しみとなった、節分祭恒例の「お菓子の福袋」の配布となりました。私も過去に一度だけ、子供達に混じってオマケで頂戴したことがありますが、あれは幾つになっても何か特別なご褒美を戴いたような、得をしたような福福しい気持ちになり、嬉しいものですね。いつもの年に増して、お菓子の配布を待つ人々の長い列を眺めながら、私は神社を後にしてスーパーへと向かったのでした。

 節分の豆と言えば、私の家では豆まきをする習慣がありませんでした。両親に確認してみましたが、二人が結婚してからは特に豆まきをしなかったようです。私としては特に何の問題もありません。中学生の頃に、祖父母の家で豆まきを頼まれたことがありましたが、私は食べ物を撒く(投げる)こと自体に強い抵抗感がありましたし、撒いた豆は拾って捨てるものと考えていたので、あまりに勿体なくて撒かずに一人で食べてしまい、祖母にガッカリされた記憶があります。今更ながら、あの頃、もっと祖父母の考え方や気持ちに、耳を傾ければ良かったなぁと思います。二人は、四国と九州の出身でしたから、その地域特有の豆まきの習慣など、面白い話が聞けたかもしれません。

 兎にも角にも、豆まきをしない私の家では、これまでもこれからも、鬼と福と共にあるわけでして、家族皆ほどほどに病やケガをしながらも、健康で良い塩梅に生きていると思います。

おしまい。

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