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結局、努力と根性論。

最近は仕事させていただける機会も増えて大変充実した毎日を送れています。出会いと人に感謝です。

今日は向上心について、努力と根性について書いていこうと思います。
みなさんは向上心ありますか?
僕は今も持っていますが、10代の時のような向上心は無くなってしまった気がします。

向上心は大事だと思いますが、それに囚われるとあまり豊かな生き方はできないと思っています。
成長することが自分の中の正義になってしまい、自分で追い込みすぎる。ここまではまだ良いですが、それによって精神を崩して他人に当たり始めたら注意が必要かなと思います。
向上心を軸にする人たちってどこまでも上に行こうとするし、どこまで大きくなっても気が済まない生き方をしてる印象があります。きっと死ぬまで上を目指す生き物だと思うんです。そういう生き方しかできない人がいるのは知っていますし、ダメと言うよりむしろ自分の成長のためにそこまで追い込めるのはすごいことでなかなかできるものではないです。

向上心は大切だし、僕も昨日の自分より今日の自分が弱くなっているのは好きではありません。
ただ、10代の頃は本当に自分のためだけに向上心を持って生きることができましたが、最近は自分のためだと頑張りきれないのも事実です。
僕は真剣に闘ってきたからわかりますが、どんなに走っても、誰よりも練習しても絶対に敵わない相手はいます。どんなに頑張っても手が届かない場所はある。これを感じてしまったから自分の中でこのくらいでいいと思うことが多くなりました。
今ではあまり想像できないと思いますが、僕は気合いと根性の人間でした。本当に上のレベルに行くための努力は惜しまなかったし、気合いと根性とポジティブで10代は走り切りました。
でもあまりに強い敵わない相手の存在に僕は努力や根性を嫌い、冷静に分析し戦略を取るようになっていました。これはこれで成長できた期間だと思っています。

そんな努力と根性を嫌いになっていた僕ですが、最近最後は結局努力と根性だよなと思うことも増えてきて自分でも驚いています。
これは最近一緒に働いた方がまさに向上心に囚われた生き方をしている方でその方の影響は少なからず受けていると思います。
努力することで思考を止めてはいけませんが、結局最後のところは努力と根性です。
いま思うと努力や根性論が嫌いなのではなく、努力を言い分に盲目的になってしまうのが嫌だったのだと思います。努力していれば先のことなど考えなくて良いし、周りからも悪いようには見えないから盲目的な努力はその場をしのぐには使いやすいです。

やっぱり努力、根性ってかっこいいし強いです。
強いからかっこいいです。
最近も皇治選手の言動をみて根性ある人ってかっこいいなと感じました。倒れない漢ってかっこいいです。
とはいえ、以前のように盲目的な努力や根性論は意味がないわけで、努力と根性は使い所が大切だという考えに至りました。
努力と根性が必要なのは最後です。この最後で1番力を発揮するのが努力と根性。
それまでは手を考え尽くしてやり尽くさないと本当の意味での努力と根性は力を発揮しないと思います。以前の努力と根性とは違い今回は冷静な分析力も加わってさらに強いものになったと思っています。

僕は自分のためだけの向上心は薄れてしまって、上限を決めてしまうことがあるけど、最近、人のためだったらどこまで頑張れる気がします。
尊敬する人のためだったら、好きな人のためだったら成長するための努力は惜しまない。
そう思える人たちに出会えたことは本当に感謝しなければいけないなと思います。

結局最後は努力と根性です。
努力と根性の話ができるまでまずは試行錯誤。
大好きな人のためならどこまでも走れます、まだまだ強くなれる。

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