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『うみかじ』5号について

『うみかじ』をはじめたばかりの頃、なんとか5号まで続けようとおもっていた。「辺野古」は日々続いているということは手放せないながら、継続のあり方が模索するばかりで、何もかもが不足していた。そんな時分、はじめての韓国はそんな暗雲をはねのけた。表紙のデザインも、詩もビラも、韓国にいる間にあらましができた。言葉を見つけるのには時間がかかったが、歩きまわった身体からすっと生まれた号だった。


5号表紙のラフ画。
韓国でみた壁画に影響を受けた。


2023年9月29日発行
・詩 蝶
・写真 樹
・木版画 恨
・うみの辺野古日記。 20230701-20230730
・ビラ「배・サバニ・舟」


身体性に根差して制作したのはよかったが、言葉を詰め込みすぎたことを反省している。身体に残った粗熱をできるだけそのままあらわそうとしたけれど、ただただ読み難いものになってしまった気がする。一冊のZINEとしての思想が出来ていなかった。後悔している。とはいえこの時にしかつくれないものをという意味でも振り切る必要があった。


発送作業。集荷をお願いしている。



勢いよく制作し、発送を終えた後、心身のバランスが崩れたように疲れ切ってしまった。日記に「炎が消えてしまったかのように情熱がなくなった」と書き残している。沖縄にいながら、韓国の風を浴びて織られた身体をほどきなおさずにはいられなかったが、いざほどいてしまうとバラバラになり、周囲との距離感もわからなくなってしまった。辺野古の「代執行」裁判もあり、逸れたことをしていないかともおびえていた。身体が重く、無為な時間ばかりが流れた。


読谷村 恨の碑


ここまでの文章の続きをどのように書こうかと迷っていた今日、読谷村にある恨の碑をつくったひとの話を聞いていた。昨夏一緒に韓国を歩いた友人と一緒に、恨について聞いていた。「恨とは朝鮮民族の言葉にして、被ってきた歴史を恨むのではなく、心の奥底にまで解きほどく努力をうちにむけてひとりびとりがすること。これは哲学なんだ。」すでに何度か聞いたことがあることだったけど、はじめてわたしが朝鮮に出会った時のように話がはいってきた。


ビラ「배・サバニ・舟」


分けあうこと、出会うこと、与えあうこと。普段の生活文化では見出せなかった、さまざまな関わりのなかで、わたしは朝鮮に出会った。わざわざ5号を読み返さなくても、身体にはあの夏がべったりと染み付いている。反芻すべきことやもっと丁寧に整理すべきことはたくさん残っているが、それを『うみかじ』で分かちあい、ほどきなおせたらいいとおもう。


・洪玧伸『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』
・ファン・ジョンウン『年年歳歳』
・森崎和江『慶州は母の呼び声』
・李静和『つぶやきの政治思想』
・沖韓民衆連帯が発行した2007年と2008年訪韓報告集


つづく

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