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『うみかじ』6号について

わたしにとって、済州島との出会いはひとつの事件だった。どこまでも広がってゆく風景や、底の知れぬほど残酷な歴史、抗い続けているひとびとの姿、心の揺さぶられない瞬間はなかった。そんな、風とともに揺れ動いている心が、島に見透かされている気がする。わたしの存在そのもの、欲望そのものが問い直されることになった。
                

済州の夕暮れとわたし。

2023年12月7日発行
・写真 クロンビ
・詩・写真 アルトゥル
・島じま紀行 済州島
・うみの辺野古日記。 20230731-20231130
・詩 鳥



存在に肉薄した制作にしたいけれど、これまでと同じ轍は踏みたくない。問いをただひらいたままにするのではなく、紡いだ言葉がバラバラにほどけてしないようにしておきたい。何より、『うみかじ』をつくることで、わたし自身をつくりなおせないかと思っていた。藁にもすがるような感情を踊らせるのではなく、つとめて冷静に過ごそうとした。製作と生活の境界を設けたくなかった。徹夜をやめた。また今回は辺野古ではつくりきれないと判断し、最終的に那覇でつくり終わった。


ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』



安全そうなところから痛みや悲しみをただ見ているわたしに耐えきれない。済州4・3事件、沖縄戦、辺野古や安和・塩川へやってくるダンプトラック。実際に歩きまなんだ感覚から、ジェノサイドや殺戮、あるいは継続する植民地主義といった言葉を用いる反面、いままさに虐殺が起きているパレスチナとの距離を緊張として受け止めていた。10月以降、辺野古にいても口を閉ざすようになり、ご飯もすすんで食べれなくなった。



そんな折、宮古島でピースキャンプがあり、済州島で出会ったひとたちと再会した。島じま紀行を書くために少し質問をしている時に、鳥の話になった。「人間の瞳はもはや痛みや悲しみをたたえることができないと思う。鳥なら距離を飛び越えていけそうな気がする。空間だけでなく時間も飛んでゆきたい。鳥になりたい。」とこぼしたわたしに、「論理が飛躍していないか」と話してもらった。その言葉の冷静さにはっとした。宮古島から沖縄島へ戻る飛行機で、唄にのせた詩をつくった。鳥という詩。


「家父長制の下に平和はない」
8/24の日記についてもいろんなひとと話し書くことにした。



6号をつくり終わり、発送作業を終え、予定を詰め込むように韓国・台湾へ飛んだ。年末年始は済州島で過ごした。年が明け、台湾南部のまったく知らない砂利道を歩いている時、ふと、6号をつくってよかったと思った。誰かとの出会いや眼差しを通してつくってよかったと思うことはあっても、つくった自分自身でそのように感じたのははじめてだった。わたしにとって、6号はひとつの終点になった。次はどうしよう。


済州島カンジョン村にて。



・ホ・ヨンソン『海女たち』『語り継ぐ済州島四・三事件』
・박경훈『알뜨르에서 아시아를 보다』
・日韓共同日本軍慰安所宮古島調査団『戦場の宮古島と「慰安所」』
・森崎和江『慶州は母の呼び声』
・沖縄恨之碑の会『恨をかかえて』


つづく

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