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『うみかじ』3号について

3号が好き。それぞれの号に思い入れや出会いがあって、はずせないポイントはあるけど、3号が好き。表紙が好きなだけかもしれない。唯一正面を向いている天使。表紙の絵は毎回「ジュゴンと天使」というタイトル。3匹目のジュゴン、3人目の天使。つたなさはあるけれど、描いて夜を明かす日々は楽しかった。


制作途中の表紙


2023年の3月のあいだに伊江島、与那国島、石垣島に行っている。土砂搬入のない週末は、那覇に行くのも増えた。生活環境に絶えず風を吹かすようになった。図書館にもアクセスしやすくなり、紙面上の言葉の使い方も少しずつ変化した。デザインを洗練した方がいいというアドバイスを受け、デザインも変わった。縦書きを横書きに直したり、見開き一枚の写真を載せたりと、変化を楽しんでいた。すべての身体とすべてのたましいと交感しているような爽やかさがあったので、キャッチコピーは「全身と全霊」とした。



与那国島東崎の馬
もう1年、与那国に行っていない…。


2023年4月25日発行
・写真 瞳
・詩 どぅなん
・島じま紀行 与那国島
・うみの辺野古日記。 20230116-20230331
・寄稿コーナー テントの下で。


石垣島でははじめて農業もしてみた。


与那国島について作った詩「どぅなん」では、1477年の済州島や1944年の台湾基隆港をたどっている。「寄稿コーナー テントの下で。」では、韓国から来て、ともに石垣島で過ごした5人の友人たちに寄稿してもらった。海を越えた連帯の不/可能性。『うみかじ』の舵を切る方向がひとつ確立した号だった。とはいえ、昨年3月18日の石垣島へのミサイル搬入は心身が引き裂かれるものだった。4月25日の発刊まで、涙が枯れるのに1ヶ月をかけた。


3月21日、韓国から来た友達にもらった手紙。
春風の吹く那覇で涙ながら読んだ。


ひとつだけ、載せなかった日記を少し手直しして再現したい。お守りのように、心にずっと結びつけていた日記。いまだあらわしえない熱が記憶に残っていて、言葉に溶けきってはいないのだけど。

2月4日(土)。くもり。辺野古大行動の後、数日後にある修学旅行生のお手伝いのための事前打ち合わせがあった。同じくお手伝いに参加するひとりが帰り道、辺野古まで車で送ってくれた。わたしはそのひとを知っていた。少しの緊張を感じていた。できたばかりの『うみかじ』2号をおそるおそる渡すと「お、家父長制(についての論考)じゃん、いいね」と波がはじけるような反応があった。植民地主義と人種主義が絡みあう暴力に、すでにずっと声をあげつづけているそのひとは、力強くも「やっていないひとの意見は聞かない」と言い切り、目を合わせては「ピュアだから他のひとのことは気にしなくていい」と言われた。あたかかかった。つよくてもやさしい手で髪を撫でてもらったような気持ちになった。

印象深い参考文献
・与那国町史編纂委員会事務局編『与那国島史』
・潮平正道『絵が語る八重山の戦争』
・太田静男『八重山の戦争』
・米谷匡史『アジア/日本』

つづく

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