神様の水を飲んだ猫①

俺は"神様の水を飲んだ猫"と暮らしている。

愛猫マイケルが、子猫のとき、いつも供えた水を飲んでいた。いつも神棚をビシャビシャにするから、最終的にはラップして飲ませない様に対策していた。

"神様の水を飲んだ猫"なんて聞くと、なんか文学的な、絵本とかにありそうでしょ?当時住んでた中野新橋のアパートに遊びに来たタツヤに、調子に乗って話した。

タツヤは、よくおススメ小説を貸してくれたり、あれが良かったとか、あの作家がいいとか、色々教えてくれ、俺たちは本や映画や、物語についてよく話した。だから余計に、自分の家の猫が、神棚の水を飲んだ事を、物語として強調して伝えたかったんだと思う。響きが好きになって、歌にもした。自分が歌っているROCKETの"departure/遠くへ"という曲の歌詞の中に、神様の水を飲んだ猫が登場する。

きっと猫にしてみれば、きっとただそこに水があったから飲んだだけ。でも、"動きだした何か"が嬉しかった気がする。え!ウチのマイケルが!あの水を?ついに!やはり、アイツ、ただの猫では無いな!

まるで物語の始まりの様に

2016年。25年住んだ東京に、おさらばして、故郷の街に移住した。理由は病気の父の介護、母の手助けだったけど、仕事にも区切りを付け、役所やその他、面倒な様々な手続きをし、やっと引っ越し荷物をダンボールに詰めてる間に入院中の父は、他界した。移住まであと10日だった。

父の葬儀は様々な、不思議な事が起きた。また改めて別の機会に書こうと思う。退職してからカメラに目覚めて北海道で白鳥を撮るのに命を賭けていた。写真は、北海道の屈斜路湖で父が撮影したもの。

四十九日が終わり、無事に父は墓に入った。俺は生まれた街で、新しい生活が始まった。今までは年に数回帰える場所で、住む場所、働く場所ではなかった。25年ぶりに暮らす懐かしい町。完全に浦島太郎になった俺が、嫁と子供を巻き込んで大スペクタルが始まった。

1994年。上京して高円寺に住んだ。不況だ、不景気だ、なんてまだ言われ始めたばかりの時だけど街はエネルギーに溢れていたし、昼も夜も関係無く、新しい友達と寝ないで毎日遊んだ。でも心のどこかで故郷へのノスタルジー、望郷の想いも同居してた。高円寺のボロい銀色のドア、天窓からしか光が入らない暗い部屋で遠い懐かしい故郷を、少しずつ押し殺した。この天窓しか無いボロアパートが、自分の今の故郷、ここがスタート地点と思い込み、脳内の故郷の景色を、特に実家や遊んで育った公園、揺り戻されそうになる景色を、次から次に脳内でDeleteキー押し、削除しまくった。ゴミ箱の中のあふれそうな千切れた残像のファイルは、目には映らない深い深い場所に隠した。

もう二度と取り出せない様に。

(Instagramに残ってた実際の初めて住んだアパートの入り口の銀色のドア。建物が無くなる前に記念に撮影したら、街から居なくなってしまったのは俺の方だった)



遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも