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怒りの当たり判定が広がってるときは休めのサイン

疲れていたりして余裕がない時はイライラしやすい。イラつきの当たり判定がピトーの円並みに広範囲に広がってしまい、普段なら受け流せるような些細な事象にも苛立ち判定がONになってしまう。

人にイラつくとき、その人の事をコントロールしようとしてしまっている。態度のデカいおっさんにムカつくとき、その心はおっさんを改心させようと思っている。でも他人を変えることはできないし、変えようとしてはいけない。実際に行動に移してしまうとほぼ確でトラブルになる。世の中のクソな部分を肌で感じたとき、現実でぶちギレたくなるときがある。育ちのいい坊っちゃん嬢ちゃんが聞いたら泣いちゃうような品性下劣な汚言混じりの怒りが喉元まで来ている場合がある。それを公衆で感情に任せてぶちまけたとき傍目には急に支離滅裂なデカ声を喚き散らかすキ・チガイにしか見えていない。

自分の尊厳が他者によって傷つけられたとき、傷つけられた側が取るべき最善の策は最上級の軽蔑を込めて無視することだ。徹底的に見下す。完膚なきまでに自分の世界からそいつを排除する、無かったことにする。忘れてしまう(その"尊厳"とやらが本当に守るべきものなのか疑う視点も必要だが)

これは通りですれ違い、今後二度と合わないであろう関わりの無い他人に対しての話だ。道すがらクズのカスボケが目に入ったときの不快感を自宅や次の日に持ち越さないための自戒的心構えであって、長期的かつ密接で自分だけの問題でないような、今後簡単には切っても切れない関係、つまり家族や友人、恋人や社員などそこに責任が伴う場合適宜取るべきスタンスは変わることだけ留意していただきたい。誰にだよ。

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