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お願いごとをゆるされた日

苦しいときは
「神様がいるなんて嘘だ」
と吐き捨てることもあるけれど
どこか目に見えない何かはいるんじゃないかなと感じて日々生きている。

だから、なのかはわからないけれど
”願掛け”はよくしてしまう。

お願いごとはいつも同じ。
時々で言葉は変わるけれど、もうずっと同じ願いを繰り返し心に想い、言葉という音に出し、書き連ねている。

願いは叶うと信じているものの
願いを叶えるのは自分だと思ってもいるから
「こうなりたいからこうしていきたい」
そんな決意のようなものを願掛けすることの方が多い。
そして自分の意思で、願掛けをしに行く。

でもここ数日間はそれとは少し違った感覚があった。

お願いをしようと思っていたわけではないのに、自分の意思とは裏腹にふと呼ばれた気がして道を変えたり空をなんとなく仰いだり…

土地神様に
てんとう虫に
お月様に
彩雲に
大木に
達磨さんに
流れ星に…

訪れる先々で「お願いしていいよ」とゆるされているんじゃないかと思うほど驚くほどたくさんのご縁に出逢えたのだ。

きっとそれらは偶然なんだと思う。
でもそれすらも導かれたように感じられて、”ゆるされた”場所でのお願いごとはとても心地がよかった。

願いを伝えられるこの瞬間がなんだかありがたくて、不思議な気持ちで溢れた時間を過ごした。

部屋にカミキリムシが現れたことも
毎日のようにハチが近寄ってきて離れないことも
何か意味があるのかもしれないと思って調べてみると
カミキリムシは音の通り「断つ」
ハチは「幸運」
そんなお告げを伝えてくれる虫だとか。

悪い流れを断てたら
しあわせが舞い込んできたら
きっと嬉しい。
でもたぶんもうすでに悪い流れは断っていて、今この時が充分に幸せなのだとも思う。

数字に愛されているなぁと感じるときも
例えば「7」を見たら、これから幸運がやってくるかもしれないとも思う一方で、
「ねぇねぇしあわせだねぇ」と言われているみたいで、今ある幸せを噛み締めたりもする。

スピリチュアルの世界を信仰しているわけではない。でも見えない何かはきっとあると思っている。
そしてそれらは未来の予兆ではなく、
今の状態を伝えてくれているのかなというのが私の感じているところ。

未来は大切。描いている未来を歩きたい気持ちはものすごく強い。
でもそれと同じくらい今がとても大切。

また明日からも見えない何かに出会うたび
私は自分の過去を振り返り未来を想い、決意や信念のようなものを繰り返し刻むんだろう。
その隣に今へのありがとうがあったらいいなと思っている。