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2020年8月

8月が過ぎた。
あっという間に、そう感じる人も少なくないかもしれないけれど
私はと言えば、まだ終わらないまだ終わらない…!と息つぎもままならないくらいに多くの物事が過ぎていった月だった。

仕事は繁忙期で自宅に持ち帰ることもしばしば。休日返上で作業しつつ、平日は後輩の仕事をつきっきりで手伝う…みたいな日が続いた。
大きなプロジェクトがひとつ、動き出した。

お盆(新盆)や大切な人たちのお誕生日など
人(やご先祖様)との繋がりそして生命を深く考えさせられる月でもあった。
今ここにいられるのは、生命を繋いでくれた人たちがいるからこそ。感謝してもしきれなかった。
注文してもないのに、心を涼しくしてくれるゼリーと今にも音が鳴りそうなピアノの羊羹が贈られてきた。お誕生日でもないのに、遠くでも想ってくれるサプライズに泣いた。

子どもは補助無しで自転車を楽々漕げるようになり、前まわりができるようになり、一人でブランコに乗れるようになり、鶴を折れるようになり、あんなに怖がっていた生き物も「ちょっと触ってみる!」とカマキリや小エビに触れることができるようになり、
そして、逆上がりができるようになった。
できないことができるに変わる瞬間に何度も立ち合い、いちいち感動した。

そんな目まぐるしく変わる毎日に暗い影を落としてくる、自分との向き合いの時間。
8月は特にその時間が濃かった。
というか、向き合う必要があった。
向き合わなければいのちが取られる、そこまではいかなくても
人生に結構な影響を与えることだから覚悟をもって臨んだ。

ひとことで言えばその時間はつらかった。

ひたすらペンで言葉を綴る。
ひたすら過去と向き合って
ひたすら自問して
意志をカタチにしていった。

感じているだけなら簡単だけど
言葉にすることで持ち続けられることもあるような気がして。
何ページ書いたかな、自分の素直な気持ちを書き殴ってまとめて誰かに伝えられるようにした。

結果は不毛に終わったけれども。

不毛というか
得たいものは得られなかったけど
得るにはまだ時間が必要だということを学んだし、
その時間の中で何をしていくかをもっと考えよと言われたんじゃないかなと今となっては思う。
これからの課題かなって。

現実とリンクする夢も見た。
昔の仲間に諭される夢だった。
今歩んでいる道は受け入れられるものじゃないって。

夢だからたぶん私の深層心理がそう言わせてるんだと思う。
そりゃそうだ。
今の境遇が良いと思っていてもやっぱりどこか後ろめたさは感じてる。
傷つけたという事実は変わらないから。

夢の中では反省はしつつも私はいたって冷静だった。
そんなことを言われたとしても、私はこう思うから進んでいく、と諭した人にはっきりと伝えていた。

悪く思う人もいる。
それは充分わかってる。
でも夢の中の私も想いは変わらなかった。


夏の終わりにもらった言葉にこんなものがあった。

”しなやかさがある”
“世界の触れ方が変わったね”

思ってもみない言葉だった。
しなやかになりたいって思ってた。
自分でありたいって思ってた。
それを目指していた部分があった。

少しは思っていた自分に近づけたかなって。
少しは成長することができたかなって。

すぐ不安や怖さが付きまとってくるけど
きっと物事はシンプルなんだと思う。

この夏に出逢った、ただただ美しい雲と光の空を見て綺麗だねと言えるように、目の前の人が笑っていることがひたすら嬉しいと感じるように、
心地良いと思える道を選んでいく。

不必要な荷物は下ろしていって。
いらないものとはさよならをして。
終わりや結びを大事にしたい。

覚悟は持ちながら。あるからこそ、の境地でもあると思うから。


少し疲れたな。
そう思いながら今日も、気の進まない作業を目の前にして自分と向き合ってる。
不器用に。
でも、これでいい。
きっとこれがわたし。

#心がほんのり涙するとき