夫婦とは

夫婦二人三脚、温かい家庭を築いていきます

結婚式で新郎新婦からよく聞かれる言葉。
新しい人生の扉を開けた二人が
笑顔の絶えない家庭を築いていく。

周りの人たちも
どうぞ幸せになってねと願う。

ああ、なんと優しい時間が溢れることか。

そして、
なんとお決まりと化していることか。

茶化したいわけでも
ひねくれているわけでもない。
ただ、「温かい家庭を云々…」というのは
聞きすぎて
むしろ
聞きすぎているから何も疑いもせず
幻想や理想のようなものを
知らぬうちに自分の中に創り上げて
言葉として表現している(してしまう)のかな、なんて思う。
(やっぱりひねくれているのかな笑)

何故人は結婚するのだろう。
温かい家庭を築くため?

私は、家庭を築くことが最終目標ではないと感じている。

恋は見つめ合い
愛は寄り添うこと。

そんなことを聞いたこともあるし
一理あるとも思っているけれど
なんとなく違和感を抱いていた。

夫婦とは、結婚とは、

共に暮らす、ことではなく
共に支える、ことでもなく
共に尊敬し合う、ことでも
共に笑い合う、ことでもない。

同じ目標に向かって、でもない。

所詮他人同士。
お互いの人生を背負う者同士ではあるかもしれないけれど
やはり、自分は自分、自分の人生は自らでレールを敷かなければならない。

マストではなくて
自分の生きたい道というのがあるはずで
付き合いたい人も
達成したい物事も
それぞれお互いが持っているはず。

もちろん同じ目標に向かえる夫婦であればいい。
けれど、自分をとりまく環境(仕事や交友関係、夢や望み含めて)が
お互い全て同じ、というのも稀だと思う。

自らの生きたい世界で
自らを表現していくこと。
表現というのは、ただ伝えるではない。
ある人は使命として
ある人は優しさや思いやりとして
ある人は挑戦として
カタチあるものを外に出していくという意味で。

その力を得るために
ときには、足らない部分を補い合い
高め合い、癒し合う存在、場所。

それが、夫婦、結婚であると思う。

ベクトルは家庭の中ではなくて
常に家庭の先に向いているように思う。

大切にしている人や
必要とする人に
無理なく
背伸びせず
自分を渡せること。

それが私の望むこと。

私が笑顔でいられるための条件だったんだ。

——中島みゆき『糸』

#これもきっと理想
#曲を勝手に解釈したことをお許しください
#心がほんのり涙するとき
#42日目