世界は安心できる場所なのかもしれない

経験値としては未熟だろうけど、今まで想像もしていなかったことがたくさん起きた。
それは、良いこと、の部類ではなくて、たぶん、悪いこと、に区分されるだろう。

人の醜さや世界の理不尽さに、これでもかというくらい打ちのめされて、泣いたり恨んだり憎んだり自分や大事な人の命さえ、無かったら…と思ったり。
不安が不安を呼び、身動きできず、どうしたら…どうしたらラクになれるんだろうって孤独を重ねてきた。
もちろん幸せな時間はあったけれど、それを呑み込んでしまうほど、目の前にある苦しさが際立ってしまってどうしようもなくなる。
そんな日々を辞めたいと何度思ったことだろう。

でも世界は私には関係なく、まわっていく。
その度に自分のちっぽけさに馬鹿らしくなるのだけれど、私とは別の世界の住人が、目の前のことにものすごく必死で、信念を持って、未来を見据えて今を生きているのを見ると、不思議と落ち着くことに気づいた。

もしかしたら私が勝手に不安を大きく大きくしているだけで、世界は優しく面白く安心できる場所なのかもしれない。
未来に不安になりすぎているとき私に必要なのは、自分に夢中になっている人のいる場所なのかもしれない。
「いいな、あの人たちは」と比べてしまうかもと思ったけれど、そんなダメージもなくて、私の不安とは反対のところに安心できる場所があるのかも、と僅かに光が見えたのは進歩なのかもしれない。

そんなことを感じた日は、少しだけのんびりできた日。心地よさという時間を少しだけ作れた日だった。

きっとまた不安に呑み込まれる日はやってくる。
誰かを羨む日もやってくる。
そんなときは、世界のどこかには安心できる場所があることを思い出そう。

あるかはわからないけれど、心地よさを求めていった先には何か見つかるかもしれない。
不安は無くならなくても小さくすることはできるかもしれない。

不安ばかり感じてしまってきた今までの日々のリハビリのように、心地よい時間を少しずつ増やし、自分に夢中になっている人に出逢う。
そんなことを続けてみたくなった。