冬のあほうつかい。

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 亜法。
 それは豊かな想像力を源にこの世界に起こり得ない様々な不可能を可能にすることができる魔法である。
 その使用者は非常に限定的で恐れを知らず、苦しみを知らず、飽きることも知らず多くの幸福感を持つことを要求される。
 故におよそ全ての亜法使いは子供であり、亜法使いは大人になることで亜法を失う。

「シュミラさまー、まってよー」
 青空の下、積もる雪の上をかける青い髪の子供がいた。先をゆく長い黒髪の女は、防寒具に包まれた子供とは対象的に薄手の白衣をまとうだけだった。女はまるで昔語りの雪女のように雪景の中に溶けているように見えた。
「カペラ、ここは寒いわよ。部屋の中にいなさい」
「シュミラさまと一緒にいるー」
 カペラと呼ばれた青髪の子供はニッコリと笑った。シミュラもカペラに笑って見せる。シミュラの透き通るほどの美しさは完璧すぎてどこか不自然に見えた。視線を麓の方へ切り替えると厳しい顔をする。その顔もまた完璧だった。
「じきに春のようね」
「春好き! シュミラさまは?」
「カペラ、私の名前はシミュラよ。まだ覚えられないの?」
「だって言いにくいんだもん」
「そう。じゃあ、あなたはそれでいいわ」
 シミュラは遠く山の麓を見下ろす。春が来る。多くの者にとって春は喜ばしいが、シミュラには違った。雪が溶け氷が崩れ落ち、山の岩肌が現れるこの季節には大きな揉め事がやってくるのを知っているからだった。
「わたくしは冬が好きだわ。厳しい風や雪のお陰で厄介事がここへたどり着くことが出来ないから……」
「ちしっ!」
 カペラがくしゃみをした。シミュラはカペラを見て微笑む。
「戻りましょう。ゴマフになにか温かいものでも作ってもらいましょうね」
「はい!」
 シミュラはカペラの手を取ると道を戻り始める。二人の向かう先に朝日が差して氷の城が輝いて見えた。
 シミュラはこの北の大地を統べる女王だ。そして、世界に七つ存在するという大迷宮の主の一人だった。

 氷の城から麓の町ノースフロストまでの間には平野が広がっている。秋が来る頃には雪が降り始めるが土地自体は非常肥沃である。しかし、町の実情から見れば誰も耕作などはしない。そのため平野は春から夏にかけて草原となりトナカイやヘラジカなどの大型の草食動物、リスやウサギなど小動物などが活動をし、キツネやテン、クズリ、グリズリーやオオカミなどの肉食動物が草食動物を狩る豊かな自然環境が存在している。一般的にはこういった豊かな草原は猟師たちにとっては夢のような猟場になるのだが氷の城の庭とも言える場所であり、ほとんどやってくることはない。冬になれば動物たちも冬眠や西に移動していき草原は深い雪に埋もれる。

 平野の南側はノースフロストに至るのだが冬場はひと気がない。この町は冬に生活をするには危険で過酷な環境のために住人も冬の間はもっと南の町へ移動してしまう。ただこの町は氷の城の前哨基地となるため、シミュラも過去には冬場のうちに町を破壊するなどの手段を用いたこともあった。しかし、何度か襲撃をすると町側にも対策をされてしまった。春に攻勢をかけても敵勢力も数が多くシミュラの戦力が削られてしまうことになり、冬にわざわざ仕掛けても町自体が季節労働者向けのようなものなので人と物資は一緒に南へ移動してしまう。そのためわざわざ攻め込んでも奪い取るものもない。町を囲う塀も板塀程度の物なので人がやってくる春が来るたびに新しく直されてしまうのでわざわざ破壊しても意味がなかった。使役している生き物を動かせば食料が必要だし、迷宮より魔物を出動させ動かすにはかなりの量の魔素と呼ばれる燃料がいる。さらに魔素を魔物に供給するには迷宮の中でなければならない。シミュラは迷宮の主であっても外で魔素を補給させるすべを知らなかった。氷の城の防衛も大事であるが、その地下にある迷宮の奥にある物を守り抜かなければならない。魔物を外に送りすぎてしまうと腕利きの冒険者達に迷宮を攻略されシミュラは永遠とも呼べる命と強力な魔力を失うのである。冬は数少ない冒険者の相手をしていればいいが、春になると周辺国家や傭兵団の軍隊をいくつか相手にしなければならない。その間をすり抜けて入り込む冒険者も厄介なものだった。

 そんなにぎやかな春が北の大地にやってくる。草原の肉食動物が目覚める頃、ノースフロストにも人間の姿をした猛獣たちが大挙してやってくるわけだ。
「氷の城には財宝が溜め込まれている」
「城の奥には世の支配者になれる力が眠っている」
 彼らはそんな噂話を信じてやってくるわけである。そうなると軍隊や冒険者に物資を供給する商人たちも繁忙期を迎えることになる。港には軍船や商船がひっきりなしに横付けされ人や荷物を降ろし、寒々としていた町は一気に膨張していく。ただ立ち並ぶ店は家屋と言うよりはいつでも即撤収できるようテントのような屋台系のものであった。
 とにかく戦いやすい季節ということもあってノースフロストは一気に賑わいを見せるわけである。

 やってくる者たちにとってはいい季節だが、攻め込まれるシミュラにとっては迷惑なものだった。周辺に生息している動物を魔力で操ることも可能だがずっと兵力として使い続けるわけにも行かない。無理な使い方をすれば彼らの生息数にも影響を与えるし、そうなると動物の数を増やすことができずやがては兵力を整えることもできずに詰むことにもなり得る。
 他にも魔力で氷の巨人を動かすこともできるが細かい命令はできない上に数体作るのがやっとである。氷の巨人自体は凄まじい攻撃力ではあるが、寒さで土地を荒らす。使いすぎれば動物たちの食料がなくなってしまう。その代わりの火力となるのは氷の砲台や投石機ではあるが、敵味方が入り乱れた場面では使うことができない。
 この地を守ることは想像以上に繊細で難しいのである。
 シミュラの家系は代々この地を治めてきたが、何度か迷宮の主の地位を奪われてしまったことがある。それでもこの地を取り返すことができたのは、シミュラが有能であると言うよりはこの地の防衛が想像以上に困難であるということを現しているのだろう。
 シミュラにはもう血の繋がった家族はいない。父は迷宮の維持に失敗し、母もその時に殺された。兄は争奪戦で破れ、貧しさの中で妹を病気で喪った。ようやく氷の城を取り戻したのは百三十年以上前のことだった。冒険者の中に紛れ、魔物と戦い罠に阻まれ仲間をすべて失いながらもようやく手に入れたものだった。
 迷宮の主になってからしばらくは順調だったが冒険者達の間に「攻略本」なるものが共有され始めたあたりから難しくなった。一定の冒険者達は迷宮探索を途中で切り上げてそこまでの記録を集めて本としてまとめているのである。仲間を失っても、迷宮攻略を続けるような冒険者ではなく冒険で得た情報を売るという稼ぎ方が登場したために罠や謎掛けがほぼ無力化され深部にたどり着く冒険者が爆発的に増えた。その対応のために蓄えた資材や資金などが使用されて財政の赤字が長らく続いてしまった。

 そんな中、シミュラを救ったのが亜法使いの子供たちであった。その行いは失った妹の代わりを求めただけだったのかもしれないが、シミュラは周辺の村々で身寄りのない子供を見つけると氷の城へ連れてきて育てていた。そんな中の一人がある日、魔法を使ったのだ。シミュラが教えたわけではない。普通、魔法を使うには触媒のようなものが必要となる。シミュラは周辺の水気を使うことで氷を作ったり、物を温めたり、溶かしたりできる。
「シムラ様! 空からアメが降ってきたよ! 僕ね、アメアメアメなめるアメ~ってお空にお願いしたんだよ」
 後になってわかったことだが亜法使いになる子供はシミュラの名前を正確に言えない。
 その時、呼び名を注意することなく降ってきた雨を見に行ったのは、その時期に雨が降ることが珍しかったのとその量によっては雪が融かされて雪崩が起きることがあるからだった。そうして見に行った先で驚きの声を上げた。天候はよく晴れ雨など降っておらず、冬の日の中でもだいぶ穏やかな天気だった。大騒ぎをする子供たちの目の前の雪の上にカラフルな点が落ちていることに気がついた。雪の上に飛び出してはしゃぐ子供たちを見てシミュラは「お待ちなさい! キッチンで洗ってもらってから口の中に入れるのですよ!」などと言うしかできなかった。
 原理は分からなかったが、亜法使いはその身の内にある無限の想像力で不可能を可能にしてしまうようだった。
 それからというもの歴代の亜法使いの子供たちは迷宮の新しい階層を作り、豊かな発想により様々な罠や謎を作り出し冒険者の侵入をほぼ完全に防ぐようになった。やがて大人になった元亜法使いたちは他の子供達と同じようにその後も城で生活するか外の世界に旅立つかを自ら決めることができた。氷の城で育った者は城で寿命を迎えた者や戦死した者、時々戻ってきてまた旅立つ者と様々だったが、亜法使いだった者は好奇心が旺盛で氷の城に残り続ける者は少なかった。

 狩人のような風体の若い男がノースフロストの港に降り立つ。
「春の町か。その割には汗と鉄の匂いしかし無いな」
 並んでいるテントを一通り見て回る。欲しいものを見つけると店主と値段交渉をして手に入れる。オープンカフェのような酒場もあったが、今はむさ苦しい連中ばかりしかいなかった。女が増えるのは夜だという。乱雑にテントが設営されているのかと思いきやある程度のブロック分けがされているようである。港からまっすぐ北側に大通りがある。そこから東西に振り分けられ西が軍隊の設営所、東が商業ブロックとなっている。まず第一陣がそういう形を作り後発は先発の隣にテントを張る。東ブロックは途中で川を挟むこととなり、川の向こうでは商売が難しいために場所争いが加熱する。例年だと先にテントだけを広げて商品を並べずに後発できた商人にテントごと場所を売るような輩までいる。
 いわゆる売春宿のようなものは川沿いに多かった。川で髪や体を洗っている女たちが若い狩人に手を振ってくる。若い狩人も手を振り返す。小舟を並べて繋げた上に木の板を渡したような橋を渡る。
 町の周囲は動物の侵入を防ぐために石を積み上げた土塁や板塀が作られるのだが、大体の場所は去年の名残もあるため少々手を加えるだけで良かったが新しい場所はそうは行かない。兵隊たちが土塁や塀を作る作業をしていた。今年はすでに二カ国の軍隊が到着しており、西にアステリア軍が駐屯し、東の商業ブロックの南東にベアラング軍が駐屯する形になっている。そのため今年は後発の商人たちにも儲けの芽がありそうだった。
「川は浅いが幅がある。が、魚は少ないっと」
 秋の頃にはサケ・マス類が遡上してくるのだろう。そうなるとグリズリーなども頻繁にやってくるはずである。ただその頃にはテントの一群も皆帰国しているだろう。
「石ころだらけか。雪解けの水はあまりないのか。もう流れきったのか」
 北の山々はまだ真っ白だった。
「違うか。あれはずっと白いままだもんな」
 雪解けの水はほとんどこない。氷の城より北側はずっと冬のままなのだ。極寒の帯がずっとそこにあり続けていると聞いたことがあった。
 シミュラと戦うということは敗北するということだ。少なくとも百年以上は軍隊は敗北者だ。商人たちは敗北者に物資を売って儲ける。負け続けてもなお軍隊を送り続ける。それはなぜだろうか。軍事に金を使いすぎ滅びた国も一つや二つではない。新しい国が興っても軍備に金をかけすぎて崩壊するのだ。または、軍に国を乗っ取られる。それでも民は変わる社会の変わらないシステムの中で生き続けなければならない。
「軍隊で氷の城を落とせると思ってるのかねぇ」
 本気で氷の城を落とすのなら冒険者を集めたほうが良いだろう。兵隊と同じ数の冒険者を集めれば簡単に制圧できるはずだ。ただ誰もそうしないのは、費用が兵隊の何倍もかかるからだ。
「金銀財宝が本当に存在するのか。誰も見たことがない。見たことがないから人を引き寄せるのか。あの人が勝ち続けるから期待値が上がるわけだ」
 若い狩人は川沿いに北側へ向かっていった。

 続きや前の話はアルファポリスにて公開中!
 冬のあほうつかいは順次更新していきます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/987156719/502038183

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