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#4 航空機の窓から見た景色

前回、「塩と下駄」から私の中に植えられた種のことを記しました。その種は、大学生になって上京した私の中に宿ったまま、十数年眠り続けていました。そのあいだに私は、ほかの若者たちと同じように様々な経験をし、たくさんの情報を取り込み、試行錯誤しながら自分の道を進もうとしていました。

「航空機の窓から見た景色」も、そうした多感な時期にたくさん見たものの一つでした。きっと同じ時代を生きる多くの人たちがそうであるように、私も空からの眺めが大好きです。飛行機に乗って窓の外が見える席につくと、フライトのあいだじゅう、子どものように窓にかぶりついています。

これまでいろんな景色を見てきました。雲の上のどこでもない空や、暗い陸地に連なる暖かな灯火、平原の果てまで流れる大河、大きな川のような海。それらは数限りなく、どれも比類なき美しさで、ここにはとても書ききれません。

ところで、そんな経験の一方で、私は二十代の後半にさしかかった頃から、航空業界の記者として活動するようになりました。航空記者になったのは、美しい空からの眺めが理由だった、と言えば綺麗ですが、そうではありません。当時の私は海が好きだったので、海関係の記者になろうとして海運専門紙の会社に入社したのですが、結果として配属されたのが航空関係の媒体(それも航空貨物!)だったというわけです。

もちろん、特に不満はなく、航空業界の取材を楽しんでやりました。役得で海外取材にも行かせてもらい、やはり空から様々な景色を見ることができました。今でも航空機は好きですし、その頃からの縁は続いています。

さて、航空記者として、航空会社や航空機メーカーを取材するなかで、日本の空の玄関である成田空港の取材もするようになりました。ちょうど開港30周年の年にあたり、特集で成田に乗り入れる航空会社を一覧で紹介するコーナーを担当したとき、必要な写真を撮るために空港の周りを訪れました。空港の周りは高いフェンスに囲まれていて、機動隊の警備もあってなかなか物々しく、緊張感をもって撮影し回ったのを覚えています。

それまでも空港内は取材のために訪れていましたが、空港外を歩いたのはこの時が初めてでした。そして、すでに「成田闘争」のことは先輩記者から教わって知っていたので、知識としての理解だけでなく、実感として、そのことを捉えるようになった最初の瞬間でした。

いや、「成田闘争」の存在自体はもっと前から知っていたのです。というのも、大学時代に一人で初めて海外へ行ったとき、成田空港からのフライトを利用し、滑走路までの長いタクシングのあいだに、航空機の窓から「空港反対」というプラカードを目にしていたからです。もっとも、そのときは単に眺めだけで、奇妙だな…と思うだけで、何も分かってはいませんでした。

あれから十年近くが経ち、空港外を歩いて感じた緊張と、あの窓からの奇妙な眺めが結びついたとき、ようやく自分の立ち位置がはっきりしました。ああ、そういうことだったのか、自分はそうした社会を生きているのか、といろんなところで気づくようになりました。

しかし、この頃もまだ種は眠ったまま。自分でどんなアクションを起こすべきか、考えはまとまりませんでした。#sheep


成田空港の展望デッキより

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