見出し画像

#2 雨乞いは雨が降るまで/Rainmaking must be continued until it begins to rain

計画というのは、どうも想定どおりに運ばないものですね。#1を書きながら、続きを考えていたのですが、さっそく内容変更が生じました。とはいえ、「なぜ今の自分があるのか」を語ることは大筋変わりません。

前回書いたとおり、私は2014年夏に成田市三里塚に居を移して暮らし始めました。当地に昭和44年まで存在した下総御料牧場の歴史を調べ、その成果を通じて、何かしら地域に貢献できたらという思いで取材活動を始めました。ここで詳述はしませんが、三里塚には空港闘争という難しい問題があり、今も完全には終わっていません。その地域にとって、かつて存在した牧場は大切な郷土の風景であったはずで、その記憶を風化させずに地域で守ることは決して無駄なことではないとの思いから取り組み始めました。

東京からの引っ越しに当たって、地域の知り合いは一人もいなかったわけですが、それでも私のことを受け入れてくださった方がいて、その方のおかげで新たな土地での生活を滑り出すことができました。今回は、その方との邂逅の記憶についての話です。

その方との最初の出会いは、三里塚十字路近くにある「三里塚御料牧場記念館」でした。当時、同館の案内人を務めておられ、話してみると地域の教職員さんでした。教育者として真面目な一面と、ちょっと型破りというか、雑草魂とも言える上昇志向のある方で、私のような変わり者を面白がって歓迎してくれるオープンな性格の持ち主でした。会うたびに話が深まり、早い時期からお酒の席もご一緒させていただきました。話好きでもあり、現在の教育現場での苦労や、子供たちの学習環境の課題を吐露する一方で、私の根無し草的な生き方を羨ましいと言って褒めそやしたり笑ったりして、率直に批判してくれました。

ところで、三里塚の歴史を紐解くと出てくる史実の一つに、戦後開拓の暮らしがありますが、その方も戦後に入植した家族の一員でした。幼い頃は、「おがみ」と呼ばれる小さな合掌造りのような掘立の家屋に暮らし、電気が通っていないため、秀才の兄が真っ暗な中で勉強していたこと、住所が「駒井野無番地」であったこと、農業経験のない父が燕尾服(それしか手持ちの服がなかった)を着て、大きなトンビ鍬で松の根を掘っていたことなど、苦労話をしながら昔を振り返るときの顔は、現在の教育現場の話をする苦々しい表情とは打って変わって、からりとして楽しげでした。

そんな方が、私に向けて放った言葉で記憶に残っているものが二つあります。一つは、お酒の席で最初の頃に発した言葉だったと思いますが、「君は金の匂いがまったくしないね」という余計なお節介でした。要するに、儲からないことをやっているね、という指摘だったわけですが、もちろん、ただ笑うのでなく、そこに敢えて挑戦する姿を面白がり、評価もしてくれたわけです。

そして、もう一つの言葉が表題のもの。「山本くん、雨乞いの話は知ってる?雨乞いってのは、雨が降るまでやらなきゃいけないんだよ。途中でやめたらダメ。気狂い扱いされるけど、雨が降るまでやったら周りの目も変わってくる。そういうもんだよ。」この言葉を聞いたとき、最初は、いつものように笑われていると思いました。しかし、話していくうち、言葉の裏で「それでもやり切りなさい、自分を信じなさい」と背中を押してくれているのを感じました。下総御料牧場の歴史は、自治体でもほとんど取り上げられないから調べても無駄だという客観的な評価の一方、最後までやり遂げれば何かが変わるかもしれないと言外に励ましてくれたのでした。これほど嬉しい言葉はありませんでした。これらの言葉に支えられて、今の自分があるのだと言っても過言ではありません。

さて、なぜこの話を書いたかというと、その方が数日前に亡くなられたと、今朝、親族の方から連絡があったからです。今年に入って入退院を繰り返されていたことは知らされており、先月メールしたところ電話で返してくれ、弱った声ながら会話してくれました。そのとき、「羊本」の出版が年末になりそうだと報告したところ、「年末?随分遅くなったねぇ」と落胆しつつも、最後まで頑張るように励ましてくれました。完成した本をお持ちして、あなたのおかげだと伝えたかったのですが、それも今や不可能になってしまいました。それでも、ここまでやってこられたのは、間違いなくその方の導きと励ましがあってのこと。今の自分にできることは、「よくやった」と言っていただける一冊をちゃんと世に送り出すことです。草葉の陰で見守ってくださっていると思って、最後までやり抜こうと思います。

それからもう一つ、その方には、私とほぼ同年齢の息子がおり、いつかお会いできたらと前々から思っていました。今やご紹介いただく機会もなくなってしまったわけですが、人の世の出会い別れは不思議なもので、明日、弔問の席で初めて御子息にご挨拶することになりました。寂しい別れの一方で、新しい出会いがあることに救いを感じた一日でした。

追記
この出来事については、あえて記す必要もなかったのですが、それらも今の自分を構成する大事な一部だったので、気持ちの冷めないうちに備忘録として書きました。翌日、ご遺族を訪問し、初めてご子息にもお会いしました。穏やかな笑顔を浮かべた故人の遺影を前に諸々報告し、生前のお話も伺うことで、気持ちの区切りを付けることができました。支えてくださったことに心から感謝しつつ、きっと歩みを続けていきます。雨が降るまで、マイペースに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?