見出し画像

Wow! ぺるそーな

最近というか高校を卒業してから、本名よりもペンネームで過ごしている時間の方が多く感じる。

私は「さんから」という名前を使っているが、これには全く本名と関係がないし、私の身体的特徴とかが由来となっているわけではない。

にも関わらず、私はもう長いこと「さんから」として過ごしている。本名の他にさんからとしてのアイデンティティがあるのだ。そして、本名で過ごす私とさんからとして過ごす私は、少し違う。何というか、光の当たる角度が違うのだ。

だから、少しだけ、ほんの少しだけ本名で過ごす私とさんからで過ごす私とでは、同じ出来事で反応が異なる。……本当かともかく、何となくそんな気がする。

因みに今これを書いてる私はその中間。2つとも持ってる。光が当たる時、それは他者と向かい合ってると"意識"している時であり、こうして電子の海に電波を乗せる間、実は私は他者のことを殆ど意識してない。存在はしてるものの、掲示板にポスターを貼るような感覚でいる。

誰かと対話する時、それが最も私を役者にする時間だ。そして相手や場所によって仮面を変える。それが当然、それが当たり前。

そんななか、仮面を被っている時間に差が生まれている。この差は微妙ながら仮面を被っていると認識している私自身にも作用しているはず。私がさんからとして過ごすほど、私の中でさんからという存在は大きくなっていく。すると、ふと仮面を脱いだ際にさんからを見てきた人々は困惑するかもしれない。また、年老いてだんだんと仮面を使い分けできなくなれば私は使い慣れた仮面のさんからを柱とするかもしれない。

それが悪いこととは言わない。ただ、仮面というものはその主人にも影響を与えるものだ。だからこそ、私はできる限り理想的な仮面を被り長いことその仮面で過ごすべきなんだと思う。その仮面が皮膚に張り付くまで。