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【介護】働いてこられた方

昨日、母の介護認定のために、役所から派遣されてきた女性が我が家に来て下さった。ようやく母の介護度をチェックしていただける日が来た。

その方からは事前に連絡があった。どうやら我が家周辺はお詳しいようだ。

約束の時間ぴったりにドアホンが鳴った。

出てみると、優しそうな女性がにこにこと微笑みながら入ってこられた。失礼な話だけれど、贔屓目に見ても、定年後のお仕事のように見受けられた。母の介護認定は4回目だけれど、これまでで最もベテランさんだ。

二階にお連れすると、さっそく調査が始まった。

手際がいい。娘であるわたしにも色々と話しかけられる。この話の内容もきっと審査の中に含まれるのだろうけれど、それでもなんとも感じがいい。言葉の随所に優しさが感じられる。

もう一月弱も寝ている母に、話は聞くけれど、無理強いはされない。一度だけ寝返りを打ってみてといわれ、母が体を動かしながら小さな悲鳴を上げると、それ以上の動きは求められなかった。優しく母に声掛けをされる。

テキパキとされている。けれどどこか体全体に無駄がある。そこがきっと柔らかさなのだろう。還暦過ぎた娘であるわたしへのいたわりの言葉まで下さる。やっぱり言葉の力は大きい。たかが言葉なのだけれど、まず心に思わなければ言葉は出てこない。それを外に出すのだ。受け取るわたしにだって、それがどんな声でどんな内容なのか分かる。だから、なんだかすっかり癒された。

思えば、ここ一月ほど、よく頑張った。その頑張りが、その方には説明しなくてもお分かりになっているようなのだ。あゝもうそれ以上優しくしないで、泣いちゃいそう、と心の中で思った。母の体調も随分落ち着いて来た。母だけ違うメニューで3回食事を運んで、そして下げるを繰り返してきた。体を拭き、クリームを塗って、服を着替えて、おむつを替えて、それだけでもへとへとになった。人間ってこれほど色々な事を自分でしているんだと思ったりした。

帰りに玄関で少しだけその方と立ち話をした。わたしもケアマネと介護職で働いている知人がいることなどを話した。そして、母はとてもしっかりしているし、愚痴もいわないけれど、食事を運ぶだけでは不機嫌になるので、一日一度は食事に付き合っているんですよと話すと、労ってもらった。

そんなつもりで言ったわけじゃなかった。普通のことだけれど、毎日のことで流石に大変だと思う時があるのだ。笑いながらお伝えしたのに、「きっとお母様は起きられるようになるから、大丈夫だから」と言って頂けた。そして、大変だったわねといって下さった。

人に関わるお仕事をされてこられた方は、すぐわかる。人を良くご存知なのだ。言わなくてもそれがどの程度のことなのか、その笑い方でよく分かる。人と接してこられた方は、自分の為だけに働けるわけがない。それだと仕事にならない。日々の仕事で、誰かの役に立つという思いが常にある人たちなのだ。

もう二度とお会いすることのない方なのかもしれない。けれど、こうして優しい人がいるんだなと思えただけで嬉しかった。


※最後までお読みいただきありがとうございました。



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