600日書き続けて変わったこと
昨夜、毎日投稿600日のお知らせが届いた。
そろそろかなと思っていたのに、お知らせのスクショするのを忘れた。
毎日投稿は時に悩ましい。
たとえば昨夜。
今わたしは大阪にいる。昨夜、よせばいいのに、梅田駅界隈をブラブラと歩いてみたくなり、ホテルに着いたのが11時過ぎ。
そこからnoteを書きはじめると、途中、家族から連絡が入り、どんどん12時が近づいてきた。
ここまでかな、と諦めかけたけれど、それでもなんとかアップできた。
600日の間には、こんなことが幾度もあった。
なぜ書くのだろうと思う時もある。
けれど、今はまだ、やめ時がわからない。
それでも、毎日繰り返すことには力がある。
何の力かといえば、一番が
「諦めない力」だと思う。
時間がない!と思っても慌てなくなった。これも経験が教えてくれる余裕なのかもしれない。意外にも、この感覚は実生活で役に立つ。もうだめかなと思っても、とにかくやってみる。やらずに諦めることが減った気がする。
それからもう一つ、
話せるようになった。
これはオマケのような気がしていたけれど、そうではない。話すことがどれほど難しいか、わたしだって知っていた。それが、いまでは話すことが苦痛ではなくなっている。
今日も30人が集まる場での自己紹介が、普通にできた。もちろん、この成長は毎日スタエフで話していることによる成長なのかもしれない。けれど、やっぱりそれだけではないと思っている。
話すことは、書くことなのだ。
書くことでどれほど頭が整理されることか。どんどん整理されて、わたしの頭の中は以前とは完全に違っている。
中でも、無駄なことを削ぎ落とす訓練は地味でも、力になる。
わたしは夜アップした記事を朝読み直す。そこでしばしば編集をする。手を加えない時も増えてきたけれど、それでも、時間を置いて、朝目を通すと無駄な部分がやけに目につく。
自分で自分をチェックする、これが意外と訓練になる。
話しはじめて、あゝこれは余分だなと気づくことが増えたということ。
すると今では、話さない選択が瞬時にできるようになった。話すことより、話さないことを選択する方が絶対にいい。伝わりやすい。
そして、最後に、
書くことで動きが速くなった。
わたしはこのnoteでよく宣言をする。もちろん、読んでくださる方に向けての宣言だけれど、いやいやどうして、これは自分に対する約束になっている。
一度書いたものは、不思議と現実になっている。書くことで、自分の人生を若干早回ししているような気さえしている。
書いて、宣言することで、方向性が決まり、覚悟が決まる。
そして、昨日はnoteの誕生日の通知が届いた。これもスクショできなかったけれど、noteで暮らして4年が過ぎたらしい。
今日から5年目の始まりだ。
4年といえば、大学生活と同じ長さだ。4年間、毎日1500文字のレポートを提出した気分。そりゃ濃いわけだわ、とおかしくなった。
4年もここにいて、600日連続で書き続けたのだ。
こんなことをしていて変わらない人などきっといないだろう。
言葉は人生をつくる、それを近頃強く感じている。
※最後までお読み下さりありがとうございました。
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