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片づけには覚悟が必要

ずっと気になっていたことにようやく今日、着手できた。

わたしの部屋はうなぎ部屋だ。願わくばもう少し広い部屋が欲しいけれど、贅沢はいえない。引越しを機に、一度は自分の部屋を手に入れたと思ったけれど、突如、母が一緒に暮らすことになった。仕方なく部屋を明け渡した。

以来、わたしの部屋はリビングだった。リビングの壁に向かってPCを置き、昼間はダイニングテーブルが机となり、夕方にはすべてのものを壁沿いの細長い机の上に移動した。その書類の行ったり来たりがストレスだった。

それが、再びの引越しで自分の部屋を手に入れることができた。誰も欲しがらない細長い部屋だ。けれど、もしやわたしが一番得したかな、と思っている。南向きで冬でも底冷えなし。本棚2つに小物入れを壁側に並べ、それから机2つを窓側に置くと、1mほどの幅の細長い廊下の様な空間だけが残る。なんとも狭い。

けれど、文句などイチミリもない。こんな空間が手に入れられたのだ。大げさかもしれないけれど、家族にも、家の神様にも、土地の神様にも感謝した。

しかも、暮らしはじめて気づいたけれど、この狭さが音声配信にはうってつけだった。音が反響することもなく、散ることもない。音声配信にはほどよい広さだ。まるでスタジオのよう。狭くてもいいことはあるものだ笑。

加えて、この狭さが居心地いい。実に落ち着く広さでもある。


ただ、引っ越し以来、気になるものが視界に入って仕方なかった。

わたしの部屋だけ、床に物が散らかったままだ。引越ししてもう随分になる。それなのに、今も開いていないダンボール1個と、新聞の切り抜きの山が幾山もある。

これは酷い。

最悪だ。家族も呆れている。

勿論、ずっと気になっていた。

けれど、机の上も、PCの中もあっという間に散らかっていく。とりあえずどうにもならないものだけを片付けながら、なんとかここまで暮らしてきた。

わたしの部屋だ。誰にも迷惑はかけていない。見たくなければ入らなければいいと暮らしてきた。

けれど一番気になっていたのはもちろんわたしだ。その紙の大きな山を今日一つ片づけることができた。

すると、本棚の前に隙間が出来た。床が見える!あれれ、意外と広いかもと驚いた。

これで明日から本棚を開くのにバランスを取らなくてもいい。

とはいえ、まだ新聞の切り抜きの山が4つほど床の上にある。これはいけない。捨てちゃえばいいのにどうしてももう一度それに目を通したいという厄介な性格がそれをさせてくれない。

3月から落ち着いて取り組みたいことがある。この部屋に籠る時間が長くなる。2月中に何とかしなきゃと思っていたのに、なんと、明日からもう3月ではないか。

今は21時過ぎ、これから新聞の山をもう一つ片づけようと思う。

3月中に、あのダンボールが無くなることを祈りつつ。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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