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人は何を読みたいのだろう

5月末から、日々実験をしている。

ほとんど触れていなかったXでつぶやきはじめて今日で4日目。

誰も読んではくれないと思いきや、ほんの少しだけXが動き出している。恐らく一月、二月と時間が経過すると、変化が見えてくるはず。

短文を書いてみて気づくのは、人は日に何度も色々なことを考えているということ。それは数分後には忘れてしまっていることばかり。

ただ、直ぐに忘れるからといって、大したことじゃないとは限らない。ゆくゆくは自分の人生を変えるほどの何かがそこにあるのかもしれない。

そんなものを書き留めると、体のどこかにこれまで消え続けていった小さな何かが残るような気がする。

Xではそれをやってみたい。

人は活動すると言葉を手にするものだから、Xでは自由に実験をするつもり。

今は「動く・行動」というテーマで書き始めているけれど、そのテーマだって絞ってもいいし、変えたっていい。

実験という言葉が好きだ。

そこには必ず失敗がある。

実験には失敗がつきもので、失敗が前提であったりもする。失敗を重ねて重ねて、それでもめげないのが実験。


わたしは言葉を伝えることを仕事にした。

だからこそ、人がなにを読みたいのか知りたいと思う。


今、SNSに溢れる文字を拾って読みはじめている。

一番読みやすいのはnoteだ。

ここは自由な言葉の広場だ。

立派な文章も恐ろしいほど沢山目にする。

けれど、

凹んで愚痴をこぼす人がいて、悪口まで書いちゃう人がいて、ちょっとだけ有頂天になっている人がいる。

それが、書くことで、

凹んだ人は元気になって、あゝ、悪口なんて書いちゃってと反省する人がいて、舞い上がっていた人はふわりと地上に足が着く。

そんな普通の暮らしが普通に語れる場がnoteだと思っている。

気取りなく暮らしていける場だ。


そして、

たとえ誰かが偽りの文字を置いたとしても、それでもそれはその人の真実の一部だったりする。

人は決して時代から逃れられない。

人は完全には自分からは逃れられない。

だからきっと読むのが面白いのだと思う。

もっと言葉に触れたい。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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