自由について考える前にすること
色々と気になっていたことがある。
時間が無くて、、、はいい訳に過ぎないと言われるけれど、どうだろう。
それでも、考えることはやっぱりちょっとだけ時間がかかる。
先週、わたしはSNS上の部活に入った。
文学部の中の哲学。
その会の第一回目のテーマが自由。
簡単そうだけれど、どうして、なかなかそれが手ごわい。
すでにチャット上では、自由に関する意見が恐ろしく分厚く飛び交っている。
そういえば、いつか、リアルなコミュニティでリーダーとは、というお題で一月ほど語り合ったことがあった。
その時は「これだ!」といった答えは出なかったけれど、それでも、驚くほど沢山のリーダー像が出てきて、不思議とその一か月のやり取りが今でも体に染み付いている。
一つのテーマを掘り下げ続けていくという経験をしてみると、普段いかに自分が物事を考えていないかが分かる。
そういえば、先日雑談をしていた時、『戦争は女の顔をしていない』という本の話をした。インタビューをこれでもか!というほど集めた本だ。この本の著者は、確かベラルーシの女性で、ノーベル文学賞をとられている。
この本を読んだ時、描かれているのは、第二次世界大戦の話だということは認識していた。
けれど、それはロシアとウクライナの戦争がはじまるずっと前のことで、わたしはソ連の大まかな歴史しかしらないままそれを読んだ。
国を守りたいと抑えきれない気持ちを抱えて戦場へ出ていく若き女性たちの純粋な気持ちが表現されていて、読んでいて、そんなことが本当にあるのかと驚きっぱなしだった。
けれど、その感想は、今では全く違うものになっている。
あの頃のわたしは、書かれていた文字情報だけがすべてだった。
それから遅まきながら、ロシアについて、ソ連について調べた。
何かを一冊読んで知りえたことは、ほんの一部なのだろう。それはまだ一部を知ったということに過ぎない。
だから、考えるとは、時間のかかることなんだと思う。
考えるためには、やはり知識が必要で、そのためには歴史に当たる必要があるときもある、はず。
哲学も同じだ。
人間がなにを口にして、なにを考えて、どんな行動をとってきたのか、知っておく必要がある。
どこかで途切れているようでも、不思議と、あらゆるものが繋がっている。革命でさえ、その前の出来事が大きなエネルギーになっている。
わたしたちは、政治を口にしづらい国に住んでいる。
けれど、日本を語るためには、たとえ口にすることがなかったとしても、やはり日本が関わった戦争の歴史ぐらいは知っておくべきだと感じている。
そして、哲学として自由を考えるのであれば、自由が制限される戦争や、真綿で首を絞められるように自由が奪われて行く専制についても考えるみる必要があるのかなと思ったりする。
5月ももう数日だけれど、6月に入るまで、少しゆっくりと考え事をしてみたい。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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