渋谷の記憶、そしていま。
若い頃、渋谷でよく買い物をした。わたしが好んで行っていたのは東急ハンズで、プラプラといつまでも歪な形をしたフロアを歩き回った。
今ではすっかり馴染みのない街になってしまったけれど、それでも渋谷が様変わりしたことは知っていた。乗り換えではよく使うけれど、街を歩くことはない。たしか渋谷ヒカリエが完成した頃に遊びに行ったきりだと思う。
渋谷といえば、若者の街、日本のシリコンバレーなんていわれていて、ちょっとわたしとは関係が無さすぎる眩しすぎる街のイメージがある。
その渋谷に食事に行った。
場所は渋谷駅の上のホテル。絶景だった。
左下に見えるのが、あのスクランブル交差点だ。人がありのように動いて見えた。
それから、手前に見えるビルはヒカリエだと思ったけれど、そうではなかった。渋谷スクランブルスクエアという文字が見える。ヒカリエよりさらに新しいビルだった。その向こう側に見えるのがヒカリエ。どちらもピッカピカのビルだ。さすがは渋谷。このビルにIT企業がわんさと入っているのだろうか。
母の介護が始まって、外出はしても夕食は母にあわせて慌てて帰る。お正月にも遠出はできなかった。そのことを母が気にして、留守番するから行っていらっしゃいと譲らない。お昼じゃなくて、ゆっくりと食事しておいでと言ってくれたのだった。
こんな時には、迷わず行こう笑。
夫には、随分と我慢をしてもらっている。夫も家族水入らずでゆっくり過ごしたい時があるだろう。だからこそ、母のこんな言葉は、ありがたくいただくことにしている。それが途中から暮らしはじめた母と、わたしたち家族のバランスのとり方だとも思っている。
食事は大体写真を撮り忘れる。急な計画で和食しか空いていなかったけれど、景色は抜群だし、なにより美味しかった。
器が可愛らしい。もちろん味も抜群だった。
近頃、ほとんど飲めなくなっていたアルコールが、また少し嗜めるようになってきている。アルコールと食事はやはり相性がいい。
青山通り沿いの子どもの城に何度か行った。確か閉館しているはずだ。そんな懐かしい話しがでた。
それにしても、夜の渋谷は美しい。駅の上から街を眺めていると、かつて華やかで人通りが多かった場所が少し寂しくなったのが分かった。あのビルの向こう側が高級住宅街だね、なんて観光客気分だった。
若い頃には気づかなかったけれど、渋谷は東急の街だ。近頃は森ビルが立ち並ぶ虎ノ門界隈や、三井不動産のビルが街を形成する日本橋など、力を持つ企業が街を作っているのが分かる。それにしてもダイナミックだ。企業が都市を形作っているなんて、すごいと思う。
母が我が家へやってきて、それからコロナの時代になり、そしてようやく外に出られると思ったら母の介護が本格的に始まった。
けれど、またこうして外に出られるようになってきた。
とはいえ、食事を終えたのはまだ夜の7時過ぎ。誰も口にはしなかったけれど、そのまま真っすぐ家に向かった。きっと誰もが一人残してきた母のことを思っていたのだろう。申し訳なさも手伝って、母には握り寿司を持ち帰り、寿司を口にする母の隣に座ってお茶を飲みながら、おしゃべりをした。まだ母の行ったことのない渋谷の街の話しをした。あゝ、朝ドラで渋谷は昔谷であまり栄えていなかったって言っていたけどね、なんて感想が返ってきた。
確かに谷の文字が付く。なるほどね、渋谷は後発の街だったのね、と話が弾んだ。
それにしても、渋谷は様変わりしていた。
※最後までお読みくださりありがとうございました。
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