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国際女性デーに『隠された人々』を!


今日は国際女性デーだ。この日は、いったい何をする日なのだろうとお思いの方も多いと思う。

わたしは昨夜、気になっていた映画をAmazonプライムで観た。タイトルは『Hidden Figures』。2016年にリリースされた米国映画だ。邦題は『ドリーム』だけれど、この映画に限っては『Hidden Figures』の方がしっくりくる。

そして、これがまさに国際女性デーにぴったりな映画だと思うので、ご紹介させて頂きたい。


舞台は1961年の米国、主人公は3人の黒人女性たち。そう、タイトルの表に出ることのなかった人々とは、彼女たちのことだ。

よく、現実は小説より奇なりといわれるけれど、あれは本当だと思う。

世の中には、思いもよらないことがある。

その、思いもよらないことというのは、自分の中に刷り込まれている常識が思い込みとなって起こることが多い。

まさか、というやつだ。

その思い込みが、差別を生み出したり、差別的な眼差しで人を見たり、自分でガードを固めてしまったりすることがある。

まだ公民権運動が盛んだったその頃、ジョン・F・ケネディが大統領で、黒人はバスでは前方の座席には座れず、あらゆる場所や、制度に、白人と非白人の区分けがあった。

その頃の実在の3人の黒人女性が主人公の映画だ。

詳しくはネタバレになってしまうけれど、それでもこれは事実だ。

彼女たちが、米国初の有人宇宙飛行を陰で支えていたという、嘘のような本当の話だった。


わたしは女性の働き方を変えたいと動き出している。時々、その動きが遅いことに痺れを切らす人がいる。いや、恐らく痺れを切らされているんじゃないかと感じるだけなのだけれど笑。

言い訳に聞こえるかもしれないけれど、ちゃんと動いている。その動きが見えにくいとは思う。けれど、わたしは何事も急進的なことは暴力に繋がると思っている。


こうした活動には2つのパターンがあると思っている。

この映画で、まさにそれが描き出されていた。

米国の人権運動の背景をご存知の方なら、この映画が時代背景まで見事に描き出している作品なのがよく分かると思う。

描き出されているのは黒人による2つの運動。

一つは公民権運動。これは当初は密かに集会を開き徐々に賛同する人を集め、その集会がだんだんと大きくなり、最後はその運動の先頭にキング牧師が立つ。その過程で、多くの人が投獄され、見せしめのように運動家が乗るバスが倒され、そこから人が引きずり降ろされ、白人によって黒人活動家が撲殺される事件が起きたりもしている。もちろん、キング牧師もその後銃弾に倒れた。そうして、人々は公民権を獲得した。

もう一つの活動は、NASAの中の3人の女性たちのような、生活の場での人々の抵抗活動だ。彼女たちは決して挫けない。何も持たない状況で我慢強く生きる。決して折れない。けれど、憤懣やるかたなき時には、激しく堂々と声を荒げる。たとえ全てを失っても、顎を上げ実に生成堂々と大きな声をあげる。もちろん、それは暴力ではなく、抗議の荒々しい声だ。それをしているのが職場だということ。

わたしは女性の働き方を変えたいと動き出したけれど、決してウーマンリブのような活動がしたいわけではない。わたしがしたいのは後者の方だ。

3人の女性たちは、自分たちに物言う権利が平等に与えられていないことを嫌になるほど知っている。幼き頃から刷り込まれてきているのだから。そして、口を開くことが危険なことであることも十分に知っている。

けれど、どんなに酷い環境でも彼女たちは必死で働く。へこたれない。そうして実績を積み、わたしにもそのポストを下さいと正々堂々と、それでも状況を見ながら上手に訴え続ける。

わたしはそこが好きだ。

暴力ではないけれど、こうした誇り高き言葉は強い。相手は人だとさえも思っていなかった人たちの根強い偏見さえも揺り動かす力を持つ。

だからこの映画は国際女性デーにぴったりだと思う。

特に、日本の女性たちに観て欲しい。


差別が定着し続けるのには訳がある。

それは、誰もがずっとこうして続いて来たのだから仕方ないと思うから。それは、誰もが変えられないと思うから。それは、誰もがそんな無駄なことはやめておけというからだ。

けれど、差別は差別だ。

そして、本気でその差別に立ち向かって折れた人だっている。それでも諦めてはいけないと思う。

米国では、異なる人種で、直接的で分かりやすい差別が続いている。

けれど、日本の場合は、実はそれがより深刻だと思っている。

なぜなら、同じ民族でそこそこ平和で安全な国の中で、目に見えにくい差別がまことしやかに続いているのだから。

それは本当に見えにくい。

だからこそ、その不平等は本当に相手にされにくい。

こうした日本の状況は、米国の1960年代とよく似ている。

その当時の白人女性を日本の「補助職で働く女性」に、そして黒人女性を「非正規やパートで働く女性」に置き換えてみると分かりやすい。人間は、どこの国でも、人をどこかの枠に押し込めたがるものだ。

そして、差別で最も大切なことは、差別されている側がそれと気づくことだと思っている。

誰が何と言っても差別は差別だ。

今日は国際女性デーだ。少し強めの表現になってしまったかもしれないけれど、お許しいただきたい。

それでも、わたしはいつもそんなことを思っている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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