きょうだいが平等に育つと、社会はもっと平等になる
この国ではなかなか男女に機会が均等に与えられない。
それなのに、それを仕方のないことと思う人がやけに多い。
きょうだいは平等?
新聞に子どもが認知する「平等」についての記事が出ていた。
それによれば、
とある。
確かに、きょうだい間で異なる成育歴を持つ人は少なくない。
ところが記事には、教育費の不均衡を問題視するのは親だけで、当の子ども本人は気にしていないことも多いと書かれている。
大切なのは、
だとある。
不平等感の背景
結果だけみると、親のかけた費用と時間が全く同じということはほとんどないだろう。
けれど、
という。
それはそうだろう。
きょだい間で大学進学に差を付けられたことで、親を許すことができないと苦しまれていた方を知っている。
けれど、その方の苦しみは親御さんの死の間際の「ありがとう。いつも来てくれて嬉しかったよ」で洗い流されたという。
お姉さんへの対抗心も親への反発心も、もう今はないといわれる。
その方を苦しめていたのは大学進学の件ではなく、ご自分と親御さんとの関係だったのだ。
それはご本人も長い間、気づかれていなかったのだろう。
話すことの大切さ
大人になって、親との関係がどれほど子どもの心理に影響を与えるかは、わたし自身も幾度も考えさせられた。
だからこそ、家族全員で話す機会を設けるといいという。
家族は小さな集団だけれど、それでも時に行き違いは起こる。その誤解が子どもの心に影をおとすことがある。だから、皆でオープンに語り合うことがいい。
それから、親と子、1対1で話す時間をつくることも大切だとある。
どちらも子どもが幼い頃からはじめると、それが暮らしの一部になる。
我が家は、オープンにいろいろなことを話してきた。
実家でそれがなかった。だからわたしは自分の家庭を持った時には、何でも語り合える家族を作ろうと思っていた。
介護のきょうだい不平等
わたしは母の介護をしている。大変ねといわれることはあっても、それを男性に言われることはあまりない。
けれどどうだろう、男性が介護をされていると、それはそれは皆さん親切だ。お気の毒だと思われているのがこちらまで伝わってくる。
介護は今でも女性の仕事という考え方が根強い。
きょうだいでも巡り巡って女性に介護が押し付けられる確率は今も高い。男きょうだいであれば、嫁さんに自分の親の介護を任せるのは忍びないという流れがある。
けれど、待てよと思う。
女でも男でも育ててもらったのは同じだろうと。
介護は女でも男でも大変であることに違いはない。
それを男性が介護するだけで気の毒がられることこそ偏見だ。そこに男女差があってはならないと思う。
外の文化と家の文化
わたしの実家では兄が相当に偉かった笑。家族だけでなく彼を取り巻くご近所や、大勢の親せきからも彼は特別な人だった。本家跡取り。で、わたしは比較対象外の妹だった。
これは明治大正時代の話ではない、昭和の話だ。
まさか、そんな古臭い話しと笑われる方は、本物の不平等を知らない幸せな人だ。
不平等とは、どうすることもできない力が人々を包み込む様をいう。だからこそ、そこにいる人はそれをどうすることもできない。親さえもそれが正しいと思い込んでいるのだから。
日本にはわたしの実家のような家がまだある。
社会が変わらないことからも、それがわかる。
長男が何の根拠もなく偉いという育ちをすると、大人になってもそれが続く。
それを作り上げたのは親であり環境だ。
戦後になって憲法が変わっても、人の心や染みついてしまった考え方がポロリと落ちたわけではないのだ。
色の付いた眼鏡はなかなか外せない
この国には、それでも、きょうだいを平等に育てる親は明治大正からいた。そうした家庭で育った人は、社会の不平等に怒りを覚えるだろうし、平等な場を捜して生きるだろうし、自分の家庭ではこどもたちを平等に育てるだろう。
けれど、家庭の中できょうだいが不平等であったなら、引きずる。特に男女差別は、人によっては死ぬまで引きずる。
気づきようがない。
そうした人は、生きる過程で、別な意味でいろいろなことが目に付く。
男性が親や妻の介護をすることが可哀想でたまらない。その介護者には妹さんかお姉さんはいないのだろうかと本気で気の毒がる。その考えこそが差別だとは気がつかない。
まだ、わたしたちはそんな国で暮らしている。
おわりに
自分は平等だ、自分は女性に優しいと信じている人の心に、不平等な考えが刷り込まれていることを良くみる。けれどその人はそれに気づかない。自分こそは女性に優しいと思い込んでいる。それは、幼い頃からその人がそんな環境で過ごしたということ。
社会に出て、男女平等にと思っても、平等に育てられなかった人はそれができない。たとえばわたしは、必ず男性に譲ってきた。おかしいと思っても何もいわなかった。自分が正しいとは思えなかったのだ。長い間ずっとわたし自身も眼鏡が外せなかったということ。だって、眼鏡をかけていることに気づいていなかったのだから。
学んだことで気づけた。だからこうして書いている。この文章が今眼鏡をかけていることに気づいていない人に届くといいと思う。眼鏡に気づけたなら、人は変われる、そのことをわたしは知っている。
気づいた人は、こどもたちを平等に育てて欲しい。世の中が一歩平等へと近づくためにも。変わって欲しい。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※こんな嬉しいお知らせを頂きました。お読みいただきました皆様、ありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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