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応援してもらえるようになったら、ようやく入口に立てたのかも。


お・う・え・ん。

オ・ウ・エ・ン。

応援。

普通に使っていたどこにでもある言葉だった。

何度も使ってきた言葉だった。

ところがこれがどれほど特別な言葉だったのか、今それがようやくわかった。



応援するよ!

春にフリーになった。といっても本物のフリー。なにしろ収入がない笑。

フリーになるまで準備をしてきたはずだった。


外に出てみて、何一つ説明できない自分に気付いた。

そんなわたしのために時間を下さった方がいた。感謝しかない。

そんな経験をして社会の厳しさ発信することの難しさを痛いほど知った。

誰もが忙しい。誰かの貴重な数分を奪う。

何が言いたいのか、その人になぜ届くと思ったのか、そんなことを考えるようになった。

そして昨日、ようやく音声配信で今後の目標をお話しすることができた。

ここから「女性の働き方の」を近現代史を振り返りつつ多くの人と考えていきたい、そんなお話をした。

そうしたら応援するよ、一緒に考えるよというコメントが届いた。

震えた。


常識

還暦を過ぎたわたしと同年代の女性ならわかるかもしれない。結婚して夫の転勤や出産で一度仕事を辞めると大変なことが起こる。

社会復帰したい主婦を企業が受け入れてくれないのは普通。

最大の難関は家族。外に出られる気がしなかった。それが当時の常識だった。

だからわたしは夫が仕事に出かけている間勉強して教育産業で社会復帰した。そこには理由があった。夫というものは妻が働きに出ることを嫌がるけれど先生なら大丈夫だといわれていたのだ。

それは当たっていて、夫はわたしの社会復帰に渋々いいよといった。いいけど家の事だけはちゃんとしてねという言葉を添えて。

皆が口にすることって当たっているものだなと思った。

皆ちゃんと知っている。

そう、経験しているのだ。


動く

けれど動いてみて知ることもある。

先生になったわたしを家族が応援してくれるようになった。といってもワンオペ育児だったけれど。それでも家族の態度は目に見えて変化した。わたしは家の中でも先生になった。


それから49歳で大学に入った。合格通知を貰った後に夫に報告した。案の定、君は何考えてるんだ!といわれた。今更なんで大学なんだと。

けれどそれだって直ぐに夫は変わった。応援してくれるようになった。そして家の中でわたしは大学生になった。

フリーになるといった時、夫は今度こそ呆れた。そして今も家の中でわたしは夫にとってでしかない。だから誰も応援してはくれない。

けれどわたしは知っている。わたしが必死になって動きはじめた時、家族は応援してくれるようになるということを。


プロ

初めてプロの方に指南を仰ぐことにした。その方はこのnoteで長い間、読ませて頂いたり読んでいただいたりしてきた間柄だ。

昨日、その方にはじめてご連絡させていただいた。

フリーランス向けのコンサルをされている方。いつかお話しをお伺いしたいと思っていた。

近道を捜しているわけじゃないけれど、ここから先はプロに道を照らしてもらいたい。わたしが発信していきたいことをどんなふうに広げていけるのか、そこが知りたい。

ただわたしには強みがある。それは挫けないこと。もちろん手放すことなら幾つもあった。けれど諦めきれないことを見つけた今は挫けない。なんど転んだってへっちゃらだ。やり方が間違っていたのならまた違うやり方を試したらいい。

世の中には誰かがやらなきゃならないことがある。

だからわたしはお金にならないよと笑われたことをやっていく。

きっとこれはわたしがやらなきゃならないこと。


おわりに

なんて不器用なんだと自分を笑いたくなることがある。

ただわたしは不器用な人が嫌いじゃない。あゝ、あの人、まだあんなことやってると思う人がいる。でもなんだか安心する。その人はこの忙しい時代にそのことに向き合い続けている人。ここnoteにもそんな人がいる。いや、沢山いるのかもしれない笑。

そんな不器用に歩いていたわたしを応援してくれる人がここnoteやスタエフに出てきた。ありがたい。本当にありがたい。

ようやく入口に立てた気がしている。

感謝。



※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。良かったらお聞きくださいね。

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