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変わっていくのも悪くない。

今日は懐かしい友と食事をして空白の10年を語り合った。10年も会わなかったのだ、そりゃ様々なエピソードがある。親の死や、介護など、実によく話した。

可笑しなことに、わたしたちは出会ってからこれまで、ずっと敬語で話してきた。けれど、今日は気づくと、彼女と普通に話をしていた。そこで、あれれ?壁を作っていたのはわたし?と気づいて可笑しかった。

わたしはこれまで、人の意見を否定するくらいなら、そっと離れた。そんなふうに人と付き合うことで、自分を守ってきたのだと思う。けれど、年を重ねて、色々な人と会い、だんだんと人が見えるようになり、自分に合わない人も分かってきた。

嫌われる勇気という言葉があるけれど、嫌われることは悪いことじゃない。嫌われることは普通にあると思っていた方がいい。それよりも、嫌いな人に愛想笑いをして一緒に居る方がよほど辛い。

そして、今日会った友達にわたしは嵐を呼ぶ女と命名された。まさかのネーミングだった。

わたしたちは駐妻仲間だ。30数年前、ほとんどの日本人妻が、海外では日本人コミュニティに属していた。ところが、わたしはそのコミュニティが窮屈で、ローカルの人たちと動きはじめた。その方がよほど気楽だった。

そんな頃、わたしたちは時々会って、二人で英語のレッスンを受けていたらしい。もうすっかり忘れていた。彼女にとってわたしはかなり異質な日本人だったようだ。

狭い日本人社会では、一度そこから抜けるともう戻れないといった感があった。抜けるだけで、嵐が吹くほどいろいろと変化がおきる。だから、離れたくても小さな子供がいると離れられない。それが普通だったようだ。だから、わたしは珍しい人だと思われていたらしい。

その彼女が、仲のいいママ友同士の関係がガラガラと崩れていくのを幾度も目にしたと言われた。やはり、人間、朝から晩まで一緒に居ると窮屈なのだ。それはわたしだけじゃなく、普通のことで、それでもどうやら皆さま、かなり我慢されていたらしい。

だから、この人、また何かやっているんだろうなと思われていたらしい。49歳で大学生になったことも、卒業してから伝えて驚かれた記憶がある。

で、起業したというと、ああ、やっぱりね、という顔をされた。何かしていないはずはないと思われていたようだ。彼女はもう長い間、教育現場にいる人だ。

互いの状況は異なるけれど、それでも、長い間自分を知っていてくれる人がいるのはなかなか面白いものだ。

敬語で付き合ってきたため、それほど互いのことは良くは知らない。けれど、居心地が良かった。やはり考え方も似ていたのだろう。集団行動が苦手で、お金が大切。と言っても、貯金が大事というわけでなく、自分の力で最後までなんとか暮らしていきたいという思いが互いにある。そんなところがよく似ているんだなと可笑しかった。

自分探しだとか、自分らしく生きるとか、色々な言葉はあるけれど、どんな時でも、きっと自分らしいのかもしれない。そんな風にしか生きられない時だってある。

わたしは今とても楽になっている。実に気楽だ。きっと、それはわたしだけじゃない。彼女も少しずつ変化されているのだろう。

人生いろいろある。だから面白い。そして、人は徐々に変化するものだと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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