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忙しい時にも元気でいられるわけ

今年もそろそろ終わりが見えてきて、忙しい時節になってきた。寒暖の差が驚くほど大きいからなのか、周りを見回すと体調を崩されている方が多い。

わたしは?といえば、まずまず元気だ。

体調を崩した、と書いたり話したりした時も、家族はほとんど気づいていない。な~んだ、大げさな、と言わないで欲しい笑。それでも、なんだか体調が悪いなぁと気づくとしっかり休む。

わたしの弱点は眠りだ。交感神経と副交感神経のバランスが崩れると決まって眠りが浅くなる。

本来であれば、22時ぐらいまでにPCなどの作業は終えておきたいけれど、そうもいかない。夜遅くまでPCに向かって脳が動き回っている間は、良い睡眠に入れるはずもなく、その交感神経のため、わたしは朝の散歩する。

ただし、脳が動いている間はなんともやっかいで、車のエンジンをかけたまま寝室にはいるようなもので、これはいただけない。だから、わたしはたとえ遅い時間でも、そのままベッドに入ることは避けている。時間がもったいなくて、そのまま寝ようとすると、だいたい面倒なことになる。見なくてもいい夢をみたり、小さな物音で飛び起きたりする。眠りが浅くなる。

そんな時は、リビングでぼんやりと白湯をのみながら脳の動きが止まるのを待つ。しーんと静かになったらこっちのもの。

ただ、怒りが収まらない未熟なことは、まだある。この怒りとは面白いもので、それは自分にとっては恐らく外側に放出するエネルギーだと思う。だから、思ったより疲れない。若い頃、クヨクヨと悩んでいた頃は疲れやすかった。

50代も半ばになった頃から、わたしは自分の気持ちから解放され、ちょっとだけ強くなった。

数年前、田舎から母が我が家へやってきた時、母はもう死んでしまったように変わり果てていて、放心状態だった。それからさらに半年ほど、やっとのことで動き出せても、部屋の隅で正座して左手を右手でさすってばかりいた。日中、母の手をする音がやむことはなかった。

それからコロナ禍を経て、母は部屋の真ん中に来れるようになり、今はここが自分の家だと思っている。幸せだと口にする。倒れてヘビーな介護は始まったけれど、自分で生きようと頑張って、そして本当に動けるようになった。

根っこができた。その根っこは、母が再び動き出せた時に完成した。自分の根っこがまさか母だったなんてね。そして、母の為に時間を使えた自分が気に入っている。もちろん、それは自分のために良かった。人は自分のために人を助けるものだってことがよくよく分かった。

さて、次は外。いろいろとやりたいことがある。

今忙しくてもわたしが元気にいられるのは、根っこができたからだ。


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