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SNSこそ、隠せない

わたしは今、複数のプラットホームで地味に発信をしている。

それでも、5年目ともなると、なんとなくSNSに共通する悩みのようなものが見えてくる。

と言っても、それは一方的に思ったり感じたりしていたことばかり。

それが今、それぞれのプラットホームで知り合った方とリアルにお会いする機会が増え、なるほどと思ったりしている。

それは、


より自分らしい文章を書く方がいい

紛らわしいことはしない方がいい

ということ。


つい人に好かれたいと思い過ぎてしまうのが、SNSの特徴かもしれない。

よせばいいのに自分を飾ったり、人に媚びたり、必要以上に自分を大きく見せようとしたり。

そんなことをすると、


自由になりたくて始めたSNSで

またもや不自由になる

だからこそ、

傷ついたり、ヒヤヒヤしたり、しめしめ上手く行ったぞと思ったり、いろいろと悩ましいことが起こりがち。

けれど、


人には人がちゃんとわかる

どんなに丁寧に書いても

どんなに丁寧に話しても

その人の本質は恐らく隠しきれない

しめしめ、なんて人を侮っているその人の

得意になった心の声さえ

人はちゃんと知っている

なんとも、おかしなものだと思う


だから、わたしは今、SNSで知り合った方々とリアルでお会いする時、楽しみで仕方ない。

なぜなら、発信し続けて「隠しきれるものではない」というところまでたどりつけて、

書いて、

書いて、

書いて、

書いて笑

そんな自分に会って下さる方がいるのだから。

そりゃもう、楽しみでしかない。


声を聞けば、その人が分かるとおっしゃる方がいる。

完璧すぎる人も、何を隠しているの?と思ったりするものらしい。

取り立てて驚くような話でもない。

わたしも、そんなことを感じることがある。


社会学では、書かれたものより、書かれていないことに真実がある、なんていう向きもある。

人はなかなか疑い深い生き物なのだろう。


そんな、鋭い勘を持つ人が集まるプラットホームで、こうして誰もが書いているのだから、それはそれだけで凄いことだと思う。

だから、


書き続けていくと

人はどんどん正直になっていく

いや、正直でいた方が楽なことに気付かされる

わたしも、苦しくなって、

いや、苦しすぎて、

心に仕舞っていた個人的なことを書いたことがある笑

書くって、それほど不思議な行為なのだと思う。


だから、経験を重ねた人は、

書きたくないものだけは書かない、そんな社会学のような選択をするようになるのかもしれない。

なにもかもが透けて見えるこの場所は、


実はリアルな社交場以上の社交場なのかもしれない。



※最後までお読みいただきありがとうございました。

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