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職員室で1番多く電話をとった一年目

教員一年目が終わった。
と言うより、終えることができた。

この一年、何度か本気で「一年もたないかもしれない」と考えたことがあった。

でも、こうして一年、終えることができた。

最後に書いた記事からちょうど一年が経ったらしい。

一年前の記事には、こう書いてある。

「ただひたすらに自分らしく、輝くために。」


言い方がすごく悪いかもしれない。でも率直に言えば、この言葉に呪われた一年だった。

日々目の前にあることをこなす中で、ふと立ち止まって自分を見つめ直すと、そこにはちっとも自分らしさがない。

もっと、自分らしくいないと。
もっと、輝かないと。

その思いに苦しめられていた反面、色んなことに挑戦する原動力にもなった。



先輩、同期、家族、友達、恋人。たくさんの人に助けられて、一年を過ごした。

奮闘していた1学期、2学期とは打って変わって、3学期は一瞬で過ぎ去った。

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、とはよく言ったもので、冬休みが終わったと思えば、あれよあれよという間に終業式を迎えた。

学年末というのは、他の学期末とは違って、常に焦燥感があった。

この年度のうちに終わらせておかなければならない教材はカバーできているか、配布物の配り残しはないか、次の学年に向けて必要な力がついているかを気にしながら計画的に授業を組み立てなければならない。

各クラスのラスト授業まで、変な緊張感を持ちながら走り抜けた。

そうこうしている間に気がついたら終業式が来ていたわけで、気づいた時には「今日が最後」だった。


恥ずかしながら、良い大人になっても、失う時になって初めて気がつくことの連続だった。

例えば、いかに自分が周りの人に恵まれていたか、ということ。

すごく経験豊富なベテランの先生と組ませてもらって、いつでも気軽に質問できる関係性をリードしてもらい、1年間でそれ以上のことを学ばせていただいた。

あとは、自分が思っていた以上に、生徒に愛されていたということ。

私が離任すると知った時、1番衝撃を受け、「なんで辞めちゃうんですか!!」と駆けつけてくれたのは、
一年を通して私が1番ぶつかり、てっきり嫌われていると思っていた生徒だった。

それから、反対に、自分が思っていた以上に、自分は生徒のことを愛していたということ。

掃除中にふざけたり、授業中に遊んでいたり、給食のおかわりで横着したり。「こら!」と叱ってきた数々の瞬間が、たまらなく愛おしい。


管理職の先生方に、挨拶をしに行くと、こんなことを言われた。

「あなたは、うちの職員室で1番電話とってくれてたからねぇ」


その言葉を聞いた瞬間、1年間が報われたような気がした。


掃除をサボる中学生を指導しながら、私の目線は常に、真面目にぞうきんをかける生徒に向いていた。
彼らは、昔の私に似ていたからだ。

「誰かが必ずしなければならないことを、誰かが怠れば、他の誰かがしないといけなくなる。それなのにどうしてサボる事ができるんだろう」

心の中でずーっとモヤモヤしながら、せっせと箒を動かしていた中学時代。

きっとこの子達も、同じように感じているんだろう。そう思いながら、私は掃除をサボっている子たちに辛抱強く声をかけた。


電話対応だって、同じだった。


若手が多い中で、電話対応をしていたのは決して私だけではなかったし、周りの人がさぼっているなんて思ったことはないけれど、
余程自分が手を取られているとき以外は、必ず2コール目までにとっていた。

特にコロナ感染者が増えている時の職長前の時間なんて地獄。
既に回線は埋まっていて、一本終わったと思えばすぐに次がかかってくる。

「自分の仕事がちっとも進まない」なんて不満を胸のうちに秘めながらも、2コールというルールは自分の中で守ってきた。

それを、見てくれている人がいた。評価してもらえた。


単純かな、それまで全く意義を見出していなかった日常の業務が、急に輝いて見えた。



そこでまた、初めて気がついたのだった。


私はこの一年間、十分、自分らしく生きていたんだ。


輝き方は、自分の思っていた通りではなかったかもしれないけれど、頑張ったことは必ず誰かが見てくれている。


さっき書いた掃除をサボる生徒とは、毎日毎日、あー言えばこう言うの繰り返し。口ばっかり動かして、手がちっとも動かない。でもそれが日々の彼らとのコミュニケーションでもあった。

なんか今日は口答えが少ないな、と思ったら、「元気ないやん、どうした?」と声をかけてみる。
そう言う時はだいたい、家の人と喧嘩したり、嫌な授業があって気分が落ち込んでいたりする時だからだ。

もう一つ気をつけていたことがある。それは、なるべく、サボっている子と話した分だけ真面目に頑張った子達にも声をかけるようにしていた。「お疲れ様」とか、「ありがとう」とか。

あの子達にとって、その言葉が「真面目に頑張って良かった」と思える力を持っていれば、良かったのだけど。

まだ未熟な私にはそこまでのパワーはなかったかもしれない。十分に掃除している姿を見てやれなかったり、もっと良い声の掛け方が、あったはずだと後悔したりすることもしばしばだった。


職員室で一番多く電話をとった一年を振り返ると、後悔と反省で溢れている。

もっとこうしていれば。あんな風に声をかけていれば。の連続だ。


でも、私にとっても、あの子たちにとっても、あの日常はもう二度と動き出すことのない、「アーカイブ」になってしまった。


代わりに新しい日常が始まる。

私に、「職員室で1番電話とってくれてたね」と声をかけてくださった先生が、こう仰っていた。

「全ては必然。」

必然の連続の中で、どういう風に生きるか。それが、私が目指していた、自分らしさというものなのかもしれない。

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