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津波、戦争

みきとです。今日は少し重たい話です。
今日は奥松島、旧鮫ヶ浦漁港と気仙沼へ行ってきました。

旧鮫ヶ浦漁港

これは旧鮫ヶ浦漁港のにあったあるモノの写真です。
静かで穏やかな場所で、鳥の囀りや波の打ち寄せる音が心地良い場所でした。
だけど、その写真にあるレールの様なモノは太平洋戦争時に使用されていたモノでした。「震洋」という体当たり攻撃。つまり、捨て身の特攻ですね。
それをするための基地だったそうです。
しかし、この場所は実際の戦闘には使用されず、そのまま終戦を迎えこの基地は放置された様です。
一体この場所でどれほどの人が…と考えるだけでも胸がいっぱいで苦しいです。
ここで釣りをしている老夫婦がいました。
でも竿はほったらかしで、じっと海を見ていて少しも釣りという行為をする素振りがなかった。
今となってはあの老夫婦がじっと海を見つめていたワケも分かるというか。


気仙沼

次は気仙沼です。
この場所、映画「すずめの戸締り」でも話題となった場所です。
僕も東北の海側に家系のルーツを持つ人間です。
当然、3.11の津波を知っています。
あの時、海のようで海ではない「何か」に友人や親戚、そのご近所の人達も家も、思い出の場所も全部呑み込まれてしまった。
あの日の海は僕の知っている海じゃなかった。
黒くてもっと禍々しい変なモノだった。
あの日海、あるいは海じゃない「何か」が連れ去っていったものが、今日見ていたあの青い場所の中にあるんじゃないかと僕はずっと思っています。

呼吸が徐々に浅くなって、そのことを考えるだけで胸がいっぱいで苦しくなる。
けど、それは気持ちだけで実際に身体は波の音やその青さに安らいでいる。
そんなよく分からない気持ちや想いが飽和した状態にいる。

目の前で青い海を見ているのに、頭の中ではあの海が黒く荒れている。
許せないのに、許したくないのに。
そう思っても目の前にあの青い海が本当に僕らの大切なモノを奪っていったのかと疑ってしまう。
でも美しいし、心は凪いでいく。
自分の名前に刻まれたこの海というものがどんなものなのか、僕はまだ知らないでいる。


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