電撃

 NOMELON NOLEMONのデビュー曲であり、決意表明の曲、「INAZMA」

 僕が思うノーメロに軸になる3曲のうちの3つ目。

 この曲を知ったのは、YOASOBIのANNXで紹介されたときだった。放送で聴けなかったけど、その後調べてノーメロとツミキ氏を知って、大好きになった。
 聴く者の目を覚ますような、まさに電撃を聴く者に与えるようなイントロ。最初からトップスピードで、思いをぶつけてくる曲。
 たぶん、僕にとってはそれが気持ちよかった。
 世の中に疑問を投げかけたり、鬱憤を晴らしたりしたいという、強い想いが籠った歌詞。ただ文句を言うだけではなく、的を射て問題提起する姿勢。聴く者をはっとさせたり、聴く者の気持ちを代弁したりするから支持されるのだろうと思う。
 一番好きな歌詞は、「誰にも鳴れない、凡そ三十六度と少しのあたし、鳴らせINAZMAを。」の部分。このユニットだからこその音楽を鳴らすという意思や決意を感じられると共に、聴く人に「自分らしく生きよう」と訴える歌詞になっていると思う。
 悩めるヒロインを通して、「歪さと対峙して、進むべき道を切り開け」と言っているように感じたり、「あなたが感じる胸騒ぎは正当なもので、間違っていない」と聴く人を肯定したりしてくれる曲。
 「生きたいように生きる」ことを訴えるノーメロの曲は「ルール」のイメージが強いかもしれないが、最初の曲から自由に生きることを訴えていた。
 「この音が鳴り止む頃には、陽が射している。」という歌詞も、自分の感覚を信じていいと言ってくれている歌詞だと思う。
 日常に感じる違和感を訴えた歌が、その人が発した「稲妻」で、歌が止んだときは違和感が解消されたときだ。正しく訴えていれば、いつか世界は変わるということではないか。


 NOMELON NOLEMONの軸となる曲として挙げた曲は、「cocoon」「ルール」「INAZMA」の3曲。寄り添う姿勢、自由に生きること、疑問を叫ぶこと、この3点を歌う3曲だ。ご本人たちがどのような考えでいるのかはわからないが、僕はこの3点がNOMELON NOLEMONがやりたいことだと思っている。
 寄り添う姿勢は活動そのものに現れている。自由に生きることは現時点での新曲「どうにかなっちゃいそう!」にも繋がっている。疑問を叫ぶ姿勢は「ダダ」や「NAZONAZO」に現れている。
 例示したように、複数の曲に共通して込められている(であろう)想いは、きっと二人が共通認識として大切にしていることだと思う。
そして、それを明確に歌っている3曲を、僕は特に大切にしたいと思う。


 「INAZMA」は、ノーメロのエゴが強い。
 聴く人に寄り添う歌詞だと解釈できるが、きっと根本は「自分たちがどんな音楽をならしたいか」という自問自答からできた曲だと思っている。「ルール」よりも純度が高い「こうありたい」という気持ちが、この曲になっている気がする。
 音楽を聴く誰かの為というより、原点を忘れないための自戒の曲ではないか。
 以上は勝手な想像だが、「聴いてくれる人のため」に音楽を作ることを明言している人たちだからこそ、一曲くらい自分のために書いた曲があってほしい。





 これからもNOMELON NOLEMONの稲妻が世界に轟きますように。

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