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両手で受け取ること、ひとに伝えること

夜遅く、最終電車に揺られて帰路についていたら、
カバンに小さな虫がとまった。

とっさに手で追い払うが、虫は身体をばたばたとさせたあと、私のトートバックの中に入っていってしまった。
あらま。こりゃちょっと厄介だ、と思いながら何度か手をカバンの奥に突っ込んで上にあげようとするも、上手くいかない。
虫は頭を地面の方に向けて、逆さになりながらお尻をふりふりさせて、その場から動くことはなかった。

うーん。なんでふりふりしているんだろう。やっぱり出たいよね。
私はなぜか、その虫をじっくり見つめながら観察していた。
外に出たそうにもぞもぞとする虫。でも電車の中でカバンをあれこれして虫を外に出してあげようとするのはなんだか恥ずかしかった。
私が電車を下りるまで頑張ってそこにいてね。

そう願いながら、虫さんを眺めて数分。やっと下車する駅に着いた。
カバンの底を両手で持って、ぶらんぶらんさせないようにしながら歩く。
近くのベンチでカバンをそっとおろす。
カバンの淵とベンチの底面とを合わせて、飛ばなくともてくてくと外に行けるようにしよう、と傾けた瞬間、今まで中でじっとしていた虫さんは飛び立ってどこかへ行ってしまった。
よかった。またね。ホッと一息。

家路をとぼとぼと辿りながら、考える。
普段だったらびっくりして怖くなって追い払ってしまう虫さんだけど、今日は一緒にいられたな。
虫さんの怖さを受け取ったのかな。
怖いよね、そうだよねって一緒に感じたのかもしれない。
一緒にいた。電車に一緒に乗った。
そう感じた。
なんだか、夜なのにじんわりあたたかい、一人じゃない時間だった。

日々の出来事で、ひとはたくさんのことを感じ取る。
心配したり、怖くなったり、反省したり、
感動したり、感謝したり、うれしくなったり。

感じることは、ときに怖い。
自分のこころの奥底から感じる、恐怖や悲しみや後悔。
人から受け取った何かが、そういった怖さにつながることもたくさんある。

感じることで、しんどくなることもある。
人は自分についてどう思っているだろう。
今、怖い視線を感じる。
相手は私にこうしてほしいと思っている。自分がこうならねば。
感じることが、重荷になることもあるかもしれない。

でも、感じることで、受け取れる。
ことばが、思いが、願いが。
なんだか、ボールのように弧を描いて飛んできて、心の奥底にふわりと着地するのを感じる。

そう感じるのはきっと、そのひと自身の心の奥底から出てきたボールだからだと思う。
そのボールを受け取れたことに、涙しそうになる。
なぜなら、それは、その場、その時間、そのひとと私の間でしか生まれえないものだとわかるから。

ずっと、感じすぎることをシャカイに否定されてきた気がしていた。
真面目、完璧主義、理想が高い、優しすぎる。
私の中では、これらすべてが、たくさん感じることができるから生まれた私自身の性格だなと思っている。
私は感じすぎない方がいいのかもしれない。
感じすぎるから、仕事ができないんだ。

感じすぎて周囲の人々に気を使ってしまうから、もっと自分のことを優先できるようになりたい。
休職してそう思ったとき、自分自身にひたすら問い続けた。
私は何が好き?うれしいのっていつ?楽しいのっていつ?
でも、結局自分のことはあんまりわからなかった。
ただ孤独な気持ちばかりが湧き上がって、どうしようもなかった。

やっと自分の好きや楽しいを知れたかなと思えたのは、ひとと関わり始めてからだった。
まずは、自分の気持ちや不安を伝えることから始めた。
怖い、不安、心配、緊張。
そして、わくわく、面白さ、素敵さ、感謝。

そして、それと同時に受け取ることができた。
感謝を受け取る。心配を受け取る。気にかけてもらうことを受け取る。
受け取ったことを通して、やっと自分を実感できた。
自分は、このひとのなかで”いること”ができたんだ。
そして、私の中にもそのひとが”いること”が嬉しかった。
そのことは、受け取るときに心の奥底から感じることができた。
感じられていることを、自分自身に感謝したいなと思うほどに。

「わたしがいて、あなたがいる」ということ。
~中略~
わたしが「いる」ことによって相手がより「いる」ようになる。そんなエネルギーの源流を生み出すこと。

西村佳哲さん著「自分をいかして生きる」p. 036


「わたしがいて、あなたがいる」
そんな瞬間を、もっと大切にしたい。
受け取れるということは、そのときを感じることのできる何かがあるということだと思う。
そのために、両手で受け取りたい。受け取りましたと、ことばでなくても、私の中で認識したい。
そして、伝えたい。
伝えたいと思ったことがあれば、その発露をひとに伝えることをしたい。ボールを相手の心に届けられるように。

加えて、わたしがわたしでいることで、相手がいることを実感できるような、そんな場づくりがしたい。
そのためにはまず、わたしが「いる」ことを身体で感じて確認していこうと思う。
「いる」ってどんな感じ?を知ることから始めていこうと思う。

そんな自分自身を実感しながら、両手で受け取った焼き菓子をおいしく食べている。いただいた相手、いただいた場を思いながら、ゆっくりもそもそと。


今回もお読みくださりありがとうございます。
ヘッダーには、今回のnoteを書くに至ったきっかけの本、西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」の写真を使ってみました。
わたしにとって、背中をそっと支えてくれるような本です。ぜひ、気になった方はお手に取っていただけたらうれしいです。